夕暮れの路地湯
18時に定時退社。久々のプチ徘徊、JR福島駅前路地をふらっと曲がると赤字の「ゆ」の看板。
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この夏、勢いで「海辺町、西へ」を再開。途端、行く機会が増える。夏旅後、家族旅行で赤穂に。泊まった宿から早朝ポタ。御崎&尾崎で、昔の塩田を囲む感 じだ。「官民道境界」と銘のある路地アイテム・境界石。塩の専売公社って、今でもあるんやったかな。。。
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光る景観に囲まれた室津の町には、至る所に逆光はえる眩しい景色が点在する。一休み後、最後の徘徊地、網干へと向こう。
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室津は、一度訪れている。真冬にやってきてふるえながら浜辺でラーメンを炊いて食べた記憶がある。小さな半島に展開する場所のせいか、冬も夏も明るい景観の町だ。
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『海辺町、西へ』というテーマで、自宅からせっせと西を目指したことがあった。赤穂坂越で、イヤな風景に出会ってとん挫した旅ぽただ。今回の夏旅はその続きと行ってもよい。相生から網干は、そのときの逆コースとなるわけだ。20余キロのシーサイドを一路、網干へ。
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新幹線的駅前に大きな廃湯と廃院と新品の道の駅、やっていないボーリング場、木壁のアパートと一戸建て。港にはIHIの造船所。山陽本線と赤穂線、車のナンバーは姫路。商業がへたる一方だろう。
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雷雨に追われて東へ。相生始発米原行新快速は満杯。ここで下車して網干まで走ることにする。天気は快晴、西大寺や岡山と違い相生は工業街、どことなく空気が変わるが、根底にあるは「朽ち逝く街」風景。
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この町は一度訪れている。今は廃線となった片上鉄道に乗ってね。商店街のはずれにある木造三階立て、今は廃屋か?この手の建物は意図しないかぎり必ず荒れ果て朽ち果てる。同じ海辺町である今回の旅の最終地、網干にはこの手のものが見あたらない。
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建物の玄関に飛田百番、京都角屋、皆同じ閉じこめられ残留する情念を感じてしまう。べんがら残る壁、横に広がる格子窓、これだけの建物でありながら、なによりも地域から忌み嫌われている。。。昭和まで続いた郭屋であろう、多分ね。同じ様な建物を備前でも見た。
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嬉々としてクリーク巡りを愉しんでいた我々に、雷鳴とともに土砂降りがやってきた。多分、クリークを巡る風景は、町中に潜在するだろう。。。そして、もうひとつ出会いがこの町であった。それは残留情念である。
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この町は、死に体である。多分、この町が息を吹き返そうと躍起になったのは高度成長へと時代が動く前か。。。町に古いサンヨー電気の看板があった。かろうじて「ラジオ」と読める。サンヨー薔薇チェーンが登場する前に再起動をかけ、そして時が凍結する。
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西大寺門前町は、門前町にあらず港町である。吉井川の川舟が、瀬戸内をゆく海船が、荷を移し換えた場所か?やがて、岡山から軽便鉄道が敷設され、町は西へ拡散する。
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ネットで検索しても、奇祭「裸祭り」=西大寺の図式しか出てこない。実際の町は、昭和モダン建築の集積地である。誰もこの町の景観的な価値に気づいていない。
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六甲周辺に多い石ころ塀が好き。地面掘ったら、このまるっこい石がたんと出るので材料にはことかかない。最近、石ころ塀は減りつつある。
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土曜出なんで、ちょっと早く家を出て阪急神崎川駅・川向こう西側の大島路地を徘徊。で、みつけたくぐりパイプ。スマートに処理してはります、この職人さ ん。
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手相見が出ていた。まあ、たいした風景ではないが、その横に色々な運の強い手相を掲げていたが、どれにも当てはまらない私は平凡なおやじ。
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