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神社巡りで数々戦争遺物に出会うが、負け戦の太平洋戦争のものは極めて少ない。これは、戦後50余年たってから明石海峡から引き上げられた旧陸軍九七式戦闘機のプロペラと爆沈した特殊掃海艇の碇。戦時中、関西学院大学内にあった西宮海軍航空隊有志が、敗戦時に進駐軍により焼却命令のあった部隊内の神風神社御神体を戦友の御霊と平和を祈ってここに移築したという。
投稿者 路爺@宝塚 時刻 08:57 | 固定リンク Tweet
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