大和郡山徘徊<15>戦絵巻
最後にJR大和郡山駅北側に鎮座される住吉神社を。。。拝殿から覗くとこのような状態。実際もっと暗いので何を書いた絵巻がわからず、自宅にて画像処理してみたら下記のような戦絵巻が浮かび上がってきました。どうも日清、日露戦争を描いた絵のようですが、戦闘シーンが妙にリアルです。
検索してみると同じような絵柄のモノが、あちら、こちらの神社に奉納 されているようです。どうも共通の原画があるようで、さらに調べたら東京日々新聞アーカイブにありましたね。旅順方面敦要塞陥落(東京大学法学部附属明治新聞雑誌文庫蔵/日露戦争のさいの旅順攻撃の図。『東京日々新聞』の第一〇〇〇〇号付録。五姓田芳柳画。)だそうです。
徘徊して思ったのが「この町、大正で時間が止まっている」ということでしょうか? 明治維新時に官軍側についていた他の藩同様、明治の遺構がありません。いきなり大正で、続く戦前昭和がないんですよね。
江戸期の商業商店資産を大正で使い尽くしたんでしょうか・・・続く工業企業化時代到来の戦前昭和において行かれたんでしょうか・・・戦後もなく、とうぜん平成もなく朽ちてゆく町なんでしょうか?
今、この町の価値を再考していかないと、「産業商業復興」という謳い文句で、土建行政の餌食になってゆく予感がします。
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