津門稲荷町
この連休、久々の朝ポタ、行き先は以前から気になっていた「津門稲荷町」。阪急国道駅の西、国道2号線南すぐにこの町名があるが、地図で見る限り、お稲荷さんはない。津門神社に合祀されたかと思い立ち寄って見たが、どうも違うみたい。なんか町名看板以外に実証するものはないかと早朝の町を怪しくうろうろ・・・あった〜♪ 古い橋の親柱に「いなりはし・昭和5年5月架設」とある(ここらあたりは昭和10年前後が多く、けっこう古い橋になる)。 橋は南北に架かっていたようで、この橋の南北延長線上に津門稲荷はあったんだろうか? 橋の名前になるくらいなんだから稲荷神社があったんやーと帰宅後、明治18年の古地図を見たら田圃ばっか??? ならばと「津門 稲荷」ネット検索・・・ほー津門稲荷山古墳ちゅーのがあったそうな。今は、墳墓も失われて正確な場所がわからないらしい。この古墳の「稲荷」の名前のみが現在に受け継がれたという事か・・・
http://www.nishi.or.jp/~kyodo/kono/inari.htm
http://www.nishi.or.jp/~kyodo/syuzou/tsuto/tsuto.htm
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コメント
この親柱,後光がさしてはりますな~。(^^)
ところで,画面左の蝶番と車輪がついてる錆びた扉のようなものは何ですの?むっちゃ気になる~。
投稿: ぽた郎 | 2007.10.08 20:44
親柱に気をとられて・・・引きで撮ってまへん・・・
次回、行ったとき確認そときます・・・
どうも扉のような・・・横は、古びためっき工場みたいでした。
投稿: 路爺 | 2007.10.08 22:09
ネットで調べたら、記載がありました。
多分、阪急国道駅からアサヒビール西宮工場あたりにかけてあったんでしょーね。
稲荷山古墳
大塚古墳の約300mほど西南、墳丘(ふんきゅう)の頂(いただき)に稲荷神社がありました。大正時代までは全形をとどめていたようで、記録によれば全長約40m高さ約2.5mで後円部からは埴輪(はにわ)や土器の破片が出土していました。大正12(1923)年阪神国道工事に際して破壊されました。
投稿: 路爺 | 2007.10.09 10:36
自己レスです。
あるもんですね。。。明治44年の地図データがありました。
やはり、想定する場所には田んぼしかありまへんわ?
http://www.nishi.or.jp/homepage/siryo/rekisi/tizu.html
投稿: 路爺 | 2007.10.09 11:46