三田野良神社徘徊ー6/高平・高売布神社〜狛犬さんの謎?
去年、初めてお目にかかったんですが、いやー今回も「おおおぉ〜」と感嘆詞のお顔ですわ!!
初見のまださんは、大きさにビックリ。170cm近くある狛犬って珍しいですわ〜とのこと。台座を見ると「天保13年(文化とも見れますが?)」と年号が彫ってありました。
左側の狛犬さんの台座には「施主:麻田家 藍山伝衛門興」、麻田家は、ここを祈願所とする麻田藩の当主だが、あとは何を意味してるんでしょうか???
まださん、曰く。。。天保年間は、狛犬が量産された時代、でも、ここのんは他で類を見ない異端なデザインですわ。でも、基本は浪速型やねんなぁ〜と。。。石工は何を見本としてこの狛犬さんを彫ったんでしょうね? それも170cm近くもある巨大な狛を???
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コメント
驚きでしたね 大きな狛犬もいますが こんな近くで 見れるのは 他にないでしょう 台が小さい為か よけ大きく見えますね・・ 丙子の年は調べたら 文化13年でしたわ 文化 文政
天保と 浪速狛犬がだんだん 洗練され ある意味各一的になる時代に この狛犬さんは・・
投稿: まだまだ | 2008.05.07 23:21
あっ!
ヌーベー。。。
投稿: inisieJOLY | 2008.05.08 08:00
>まださん
文化ですか。。。1809年〜ですね。
だとしたら、その時の当主は、この方でしょうね。
青木 一貞(あおき かずさだ、安永5年(1776年) - 天保2年8月6日(1831年9月11日))は、
摂津国麻田藩の第10代藩主。
幼名は源五郎。父は第9代藩主・青木一貫(四男)。母は第8代藩主・青木一新の娘。
正室は佐竹義忠の娘。継室は池田定常の娘。子に重龍、一興、谷衛昉。
官位は従五位下、出羽守、甲斐守。
生涯
青木一貞は先代藩主一貫の四男であった。しかし、生母は一貫の正室で、
先々代藩主一新の長女お薗であったため、嫡子とされた。
なお、三人(佐野健行、設楽貞喬、米津政佑)の兄の実母は正室ではなかったため、
庶子とされて、他家に養子に出された。寛政年間に藩校・「直方堂」を創設している。
天明6年(1786年)8月21日父一貫の死去により、家督を相続する。
寛政5年(1793年)11月1日将軍徳川家斉に御目見する。
同年12月16日従五位下出羽守に叙任する。後に甲斐守に改める。
文政4年(1821年)隠居し、長男重龍に家督を譲った。
天保2年(1831年)死去、享年56。法名は正法院殿一乗義貞大居士。
投稿: 路爺 | 2008.05.08 12:47
>古さん
鬼太郎系ではありまへんなぁ〜
投稿: 路爺 | 2008.05.08 12:49
この藍山伝衛門とは いかなる人なんやろ
粋な 人やったりして・・
投稿: まだまだ | 2008.05.08 22:43
粋な人ちゅーよりも変わり者?
投稿: 路爺 | 2008.05.08 23:02