逆瀬駅前の寶梅園への道標
野上町の水道みちの帰り、あら、こんな場所に「寶梅園」への道標・・・寶梅園ってどこかで見知ったなぁ・・・と記憶をたどると一度。メルマガのネタで取り上げたと思い出す。
以下は、一度メルマガ「全国路地道野辺道大全」に載せた内容をそのまま転載。
<ここから>
旧住所:宝塚市小林字白砂里
白砂里は「ハクサリ」と読み、これを漢字で書くと「歯腐り」なん
と不気味な地名ですね。
宝塚小林字ハクサリの住所を検索して、場所を特定しようと思った
んですが、この番地地名がヒットしません。
あきらめ半分でマップルで調べたらありましたこの地名番地がー逆
瀬川のかなり上流の山の中です。
別途「宝塚市小林字ハズリ」とも記載がありましたが、漢字を当て
ると多分「歯磨り」という書き、同語源の地名のようですね。
歯腐りの原因は、この地域も地下水にフッ素が多く含まれ、それが
原因で歯の表面のエナメル質に白色の模様ができて透明でなくなる
とか・・・ひどくなると、歯の表面に穴があいたり、あるいは欠け
てくることもあり、これは前歯だけでなく全部の歯にもあらわれて、
褐色あるいは茶褐色等の着色もあらわれるということで、斑状歯と
いわれるとか・・・一種の風土病のように思われていたとか。
昔は牛の歯がぼろぼろに腐ったと言われており、いまは牛は見かけ
なくなったわけでありますが、犬の歯が腐るとか・・・???
小林字ハクサリは現在の宝塚市宝梅周辺ですが、この地域、前々か
ら不思議に思っていたコトがります。
北から東、南に開き、日当たりが良く、耕作に適したなだらかな斜
面地であるのに、旧村の集落があったという痕跡がないのは、なぜ
なんだろう・・・なんとなく「特異な地」やったんかいなぁ~と漠
然と思っていたんですが、まさかこのような忌み嫌われる土地であ
ったとは・・・。
で、もうちょっと調べてみると昭和30年代まで「宝梅園牛乳」と
いうのがあって、どうもこの地と関係しているらしい。
さらに調べると神戸大学の電子図書館システムにこの農園と関連す
る記事がありましたので概要のみ掲載。
宝梅園農場
戦前、前貴族議員で、船、銀行、酒屋などを経営する八馬兼介氏
の弟の駒雄氏が「宝梅園土地建物合資会社」の名のもとに広大な
土地に梅林を有しており、阪神一の梅林とまで言われた。最初は
果樹園だった。 (昭和7年・神戸新聞より)
阪神一の梅園? 広大な農園やったんでしょうね・・・この八馬家
相当な資産家なんやろと、この記事にある「八馬兼介」で検索して
みると、なんと今はなき灘の銘酒「多聞」(阪神大震災が起因で倒
産)を作った人じゃないですか?!
八馬家は米問屋で、大正時代に酒造業に手を出す前からこの土地を
持っていたとネット上の資料にありましたから近代以前からこの忌
み嫌われる歯が腐る広大な土地を持っていたんでしょうかね。
事業家としての八馬家では、当然ながらこの広大な土地から収益を
あげたいと考えるのは至極当然な話です。
しゃれた鉄筋コンクリートの住居を建て、珍しい果樹を栽培し、乳
牛も飼う・・・しかし、事業は失敗に終わってしまう・・・この農
園の一部を公立中学校の敷地として寄贈したとありますから、厄払
い的に因縁ある土地を処分したかったんでしょうか?
せめて元もとの地名が残っていれば、この土地を巡る物語も些細な
歴史として記憶されたろうにと思うしだいです。
<ここまで>
昨年の秋朝ポでいった宝塚聖天さんは大正8年創建なんで、聖天さんの門前から寶梅園が一望できたんでしょうかね? また、この農園の関係で逆瀬川駅周辺に昭和初期の長屋(玄関お断り札が旧書体で琺瑯の戦前タイプ)が点在してるんでしょうかね?
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コメント
歯くさり フッ素が影響とはおもろいですね
フッ素って 結構そこらにあるんですね・・
投稿: まだまだ | 2009.01.07 23:55
昔、宝塚の水道で歯が溶けるなんて聞いた事が…
この事でしたんかいね~
今年もヨロシュウニ!
投稿: inisieJOLY | 2009.01.08 07:55
>フッ素・・・下記参照
ふっそ1 【▼弗素】
17 族元素(ハロゲン)の一。元素記号 F 原子番号 9。原子量 19.00。
地表に広く分布。蛍石や氷晶石を主鉱石として産出する。
淡黄色の刺激臭のある気体。猛毒。
化学的作用が強く希ガスを含むほとんどすべての元素と化合する。
冷媒・樹脂・防腐剤・不燃性ガスなどの製造に用いる。
フッ化ナトリウムなどの種々のフッ化物は、虫歯予防剤
として広く用いる。
> inisieJOLYさん
こちらこそよろしく〜
投稿: 路爺 | 2009.01.08 11:03