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前回の続きで、朝ポで位置確認を・・・阪急神戸線の北側すぐでありました。
目盛りも再確認・・・当然ながら一目盛り一寸ほどか?
土手から見ると、目盛りが見えます・・・ちゅー事は武庫川右岸の河口側からこの水量石柱計を見ていたのかな?
土手を下って直下にあった南無阿弥陀仏と刻まれた石碑? なんか関係があるんでしょうか? 台座に願主の名前が刻まれてますが判読できず。この先に日野神社があるくらいで、旧村へはかなりの距離がありますね? はてさて・・・???
投稿者 路爺@宝塚 時刻 23:26 | 固定リンク Tweet
なにがゆえ 測定したのか・ 増水の監視 田んぼに水引くため 船の安全航行のため・・ なんやろ??
投稿: まだまだ | 2009.05.10 22:49
またちょっと検索してみました。 これ↓なんか、けっこう参考になりそうですよ >まだまだ師,路爺兄 http://kay3.chips.jp/xps//modules/pukiwiki/?%CC%C4%C8%F8%C2%BC%C7%AF%C9%BD こちら↓は兵庫県がweb公開してる明治以降の武庫川の水害概要 http://web.pref.hyogo.jp/hn04/hn04_1_000000143.html 情報精度不明の余談ながら(^^;)↓読み物としては面白そう http://hyogo.jcp-giin.net/seisaku/0605191450.shtml
まだ読込んでませんけど、為政者による洪水に備えた水位監視などの管理は、信長や秀吉の時代まで遡れるのカモ。
投稿: kamonegi@ | 2009.05.10 23:49
まださん、かもさんのリンク先の一文に・・・
>12月幕府が江戸城本丸普請のため御用金上納につき >鳴尾村の辰馬半右衛門・辰馬与左衛門に一代帯刀を >許す >この年から慶応元(一八六五年)にかけ鳴尾村に私札 >(両替手形)発行される"
この時代、河口域の干拓が一段落して、辰馬氏が、水 量監視のためにこの石柱をたてたのかも知れませんね。 この石柱より下流JR線直下に今は無き枝川という大き な支流がありましたから関連があると思われます。 ちなみ枝川は、明治になって埋めてたてられて、そう 我らが阪神タイガースの甲子園球場が作られたんですね~♪
投稿: 路爺 | 2009.05.11 00:33
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なにがゆえ 測定したのか・
増水の監視 田んぼに水引くため
船の安全航行のため・・
なんやろ??
投稿: まだまだ | 2009.05.10 22:49
またちょっと検索してみました。
これ↓なんか、けっこう参考になりそうですよ >まだまだ師,路爺兄
http://kay3.chips.jp/xps//modules/pukiwiki/?%CC%C4%C8%F8%C2%BC%C7%AF%C9%BD
こちら↓は兵庫県がweb公開してる明治以降の武庫川の水害概要
http://web.pref.hyogo.jp/hn04/hn04_1_000000143.html
情報精度不明の余談ながら(^^;)↓読み物としては面白そう
http://hyogo.jcp-giin.net/seisaku/0605191450.shtml
まだ読込んでませんけど、為政者による洪水に備えた水位監視などの管理は、信長や秀吉の時代まで遡れるのカモ。
投稿: kamonegi@ | 2009.05.10 23:49
まださん、かもさんのリンク先の一文に・・・
>12月幕府が江戸城本丸普請のため御用金上納につき
>鳴尾村の辰馬半右衛門・辰馬与左衛門に一代帯刀を
>許す
>この年から慶応元(一八六五年)にかけ鳴尾村に私札
>(両替手形)発行される"
この時代、河口域の干拓が一段落して、辰馬氏が、水
量監視のためにこの石柱をたてたのかも知れませんね。
この石柱より下流JR線直下に今は無き枝川という大き
な支流がありましたから関連があると思われます。
ちなみ枝川は、明治になって埋めてたてられて、そう
我らが阪神タイガースの甲子園球場が作られたんですね~♪
投稿: 路爺 | 2009.05.11 00:33