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2009.05.09

続・武庫川の水量石柱

前回の続きで、朝ポで位置確認を・・・阪急神戸線の北側すぐでありました。

P5090479

目盛りも再確認・・・当然ながら一目盛り一寸ほどか?

P5090481

土手から見ると、目盛りが見えます・・・ちゅー事は武庫川右岸の河口側からこの水量石柱計を見ていたのかな?

P5090485

土手を下って直下にあった南無阿弥陀仏と刻まれた石碑? なんか関係があるんでしょうか? 台座に願主の名前が刻まれてますが判読できず。この先に日野神社があるくらいで、旧村へはかなりの距離がありますね? はてさて・・・???

P5090490

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コメント

なにがゆえ 測定したのか・
増水の監視  田んぼに水引くため
船の安全航行のため・・
なんやろ??

投稿: まだまだ | 2009.05.10 22:49

またちょっと検索してみました。
これ↓なんか、けっこう参考になりそうですよ >まだまだ師,路爺兄
http://kay3.chips.jp/xps//modules/pukiwiki/?%CC%C4%C8%F8%C2%BC%C7%AF%C9%BD
こちら↓は兵庫県がweb公開してる明治以降の武庫川の水害概要
http://web.pref.hyogo.jp/hn04/hn04_1_000000143.html
情報精度不明の余談ながら(^^;)↓読み物としては面白そう
http://hyogo.jcp-giin.net/seisaku/0605191450.shtml

まだ読込んでませんけど、為政者による洪水に備えた水位監視などの管理は、信長や秀吉の時代まで遡れるのカモ。

投稿: kamonegi@ | 2009.05.10 23:49

まださん、かもさんのリンク先の一文に・・・

>12月幕府が江戸城本丸普請のため御用金上納につき
>鳴尾村の辰馬半右衛門・辰馬与左衛門に一代帯刀を
>許す
>この年から慶応元(一八六五年)にかけ鳴尾村に私札
>(両替手形)発行される"

この時代、河口域の干拓が一段落して、辰馬氏が、水
量監視のためにこの石柱をたてたのかも知れませんね。
この石柱より下流JR線直下に今は無き枝川という大き
な支流がありましたから関連があると思われます。
ちなみ枝川は、明治になって埋めてたてられて、そう
我らが阪神タイガースの甲子園球場が作られたんですね~♪

投稿: 路爺 | 2009.05.11 00:33

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