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えーと、Junさんからの宿題、お初天神の弾痕跡を帰りに見てきました。説明書きに英語も入れるべきやね〜と・・・
投稿者 路爺@宝塚 時刻 00:37 | 固定リンク Tweet
わ〜、すごい、弾痕や! 大根ちゃう! 宿題、ありがとう!!
うん、説明に英文も書くべきやと思う。 大阪、意外に外国人観光客多いから、英文で説明したらちゃんと読んでくれるよ、きっと。
投稿: Jun | 2009.06.19 21:34
左から右に弾道が流れていったんでしょうか? まん丸い穴で生々しいですなぁ~
投稿: 路爺 | 2009.06.19 22:47
当時の米軍の単発戦闘機ってぇと、艦載機であろうと陥落後の硫黄島あたりから飛来した機体であろうと、ほぼ一様に「グラマンが来たぞっ」となってしまう固定観念的傾向があるらしいです。
旧日本軍の戦闘機についても、濃緑色と明灰白色に塗られた単発機を見ると、隼でも紫電改でもなんでも一律に「あっ零戦だ!」と呼ばれがちなのと同じ感覚でしょうね。
なお、本土空襲に飛来した艦載機の代表格グラマンF4F型の武装は12.7ミリ機関砲6挺装備、かたや往時のP-51マスタングには2挺の12.7ミリと4挺の7.92ミリ機銃を装備したモデルが存在したようです。
この石柱の壊れ具合からすると、やはりP-51の7.92ミリ機銃の弾痕が正解じゃないでしょうか。 12.7ミリってぇと小指の先よりも太いぐらいの弾丸で、これはもう重機関銃の範疇ですからね、御影石だってもっと激しく砕かれてしまうんじゃないかと。
ご参考までに、次の動画の3分すぎあたりから、P-51による機銃掃射の様子を見ることが出来ます。 http://www.youtube.com/watch?v=khNM7dt3TdU あーやだやだ。
投稿: kamonegi@ | 2009.06.20 04:08
かもさん、解説サンキューですが おとろしい嫌な映像ですなぁ~ この瞬間、戦闘機、機関車、船舶・・・ その中の日本人がやられているんでしょ・・・ ああ、やだやだ・・・
投稿: 路爺 | 2009.06.21 09:44
>やだやだ
実写や、と気がついた瞬間、再生を止めました。
投稿: Jun | 2009.06.21 09:54
まったくこの動画、かなりキツ・グロいです。 きちんと観ておかなければイカンものではありますが…。 で、あえてこれ引用した動機は別にありまして>路爺師
戦闘機が機首下げの姿勢でダダダダダッと撃っているシーン 機銃掃射の様子を少しだけ思い出していただきたいんですわ。
機関銃弾が地表や標的に命中するシーンを戦争映画なんかで見ると 着弾が一直線に走り抜けるように演出されることが多いですよね。 でも実際には、先のほうでブレて飛び散って被弾してる感じですし 映画の中の世界ほどには連射能力も高くないように見て取れます。
ところがこの幅1尺ばかりの石柱に刻み込まれた弾痕ときたら たかだかB5の紙1枚程度の範囲に4発も着弾してるわけで、 それがなんともスゴいと云うか不思議と云うか、気になったのです。
想像の域を出ませんが、こりゃもうかなり何か明確な標的を捉えた 冷静な射手が狙いすまして正確に撃ち込んだものぢゃないかなト でなきゃこんなに集中的に映画的には着弾せんやろト 少なくとも、たまたま飛んできた流れ弾じゃぁないよなト そんな悲痛な推理の傍証ですわ。
投稿: kamonegi@ | 2009.06.21 23:03
Junさん、同感ですが・・・ かもさんの説を読むと、確かにこの弾痕変ですね? そもそも空襲のあった当時のお初天神のあたりって どうなっていたんでしょうか? もしかしたら梅田界隈焼け野原で、上空から神殿前 二本の石柱は丸見えになっていて戦闘機のパイロットが、 遊びで狙ったのかも知れませんね・・・弾痕位置が根元やしね・・・?
投稿: 路爺 | 2009.06.21 23:13
ご賢察おおきにです。 砲兵工廠関連や北野高校など著名どころの遺構だと、弾痕1発だけだったり、もう少し散発的な感じが少なくないですもんね。 映画や、陸戦で破壊された欧州の廃虚のイメージしか頭に無かった頃は、それ見て「なんでこんな中途半端な撃ち方やったんやろ…」って逆に不思議に感じてましてん (゚ー゚;
> 遊びで狙ったのかも それそれ、ぼくも調べたり考えたりしてるうちに、そんなふうに思いました。 自国の制空権を失い、防空対空のインフラすら尽きていたんでしょうねぇ。
投稿: kamonegi@ | 2009.06.22 01:23
戦時下の写真を「お初天神&空襲」で検索してみましたが ヒットなし。。。梅田に変えても出てきませんね? 25年程前かな、戦後境内に違法でやっていた飲み屋群を 撤去させるとありましたが、このような違法占有があった ということは、空襲で焼け野原状態やったんでしょうね。。。 もしかしたら神殿も焼け、構造的に鳥居も倒れ、この石柱二本のみ残っていたのではないかと?
投稿: 路爺 | 2009.06.22 09:18
米軍機は結構遊んでたみたいですよ。 私の高校時代の先生が、戦時中、小学生だったのですが、明石の田圃で「グラマン」に追いかけられた経験があるそうです。 パイロットは逃げる先生(子供)に並行して機銃掃射して、なぶりものにした挙げ句、前を低空で横切って手を振って飛び去ったそうです。 先生は命拾いした訳だけど、嬉しいより悔しかったって。 ヨーロッパでも米軍の標的にされた教会の彫刻とかあったみたいですよ。(ドイツとか)
投稿: Jun | 2009.06.22 21:51
負け戦ですからね・・・ 残っている弾痕を調べたら案外、この手のモンが多かったりして・・・
投稿: 路爺 | 2009.06.23 00:15
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コメント
わ〜、すごい、弾痕や! 大根ちゃう!
宿題、ありがとう!!
うん、説明に英文も書くべきやと思う。
大阪、意外に外国人観光客多いから、英文で説明したらちゃんと読んでくれるよ、きっと。
投稿: Jun | 2009.06.19 21:34
左から右に弾道が流れていったんでしょうか?
まん丸い穴で生々しいですなぁ~
投稿: 路爺 | 2009.06.19 22:47
当時の米軍の単発戦闘機ってぇと、艦載機であろうと陥落後の硫黄島あたりから飛来した機体であろうと、ほぼ一様に「グラマンが来たぞっ」となってしまう固定観念的傾向があるらしいです。
旧日本軍の戦闘機についても、濃緑色と明灰白色に塗られた単発機を見ると、隼でも紫電改でもなんでも一律に「あっ零戦だ!」と呼ばれがちなのと同じ感覚でしょうね。
なお、本土空襲に飛来した艦載機の代表格グラマンF4F型の武装は12.7ミリ機関砲6挺装備、かたや往時のP-51マスタングには2挺の12.7ミリと4挺の7.92ミリ機銃を装備したモデルが存在したようです。
この石柱の壊れ具合からすると、やはりP-51の7.92ミリ機銃の弾痕が正解じゃないでしょうか。
12.7ミリってぇと小指の先よりも太いぐらいの弾丸で、これはもう重機関銃の範疇ですからね、御影石だってもっと激しく砕かれてしまうんじゃないかと。
ご参考までに、次の動画の3分すぎあたりから、P-51による機銃掃射の様子を見ることが出来ます。
http://www.youtube.com/watch?v=khNM7dt3TdU
あーやだやだ。
投稿: kamonegi@ | 2009.06.20 04:08
かもさん、解説サンキューですが
おとろしい嫌な映像ですなぁ~
この瞬間、戦闘機、機関車、船舶・・・
その中の日本人がやられているんでしょ・・・
ああ、やだやだ・・・
投稿: 路爺 | 2009.06.21 09:44
>やだやだ
実写や、と気がついた瞬間、再生を止めました。
投稿: Jun | 2009.06.21 09:54
まったくこの動画、かなりキツ・グロいです。
きちんと観ておかなければイカンものではありますが…。
で、あえてこれ引用した動機は別にありまして>路爺師
戦闘機が機首下げの姿勢でダダダダダッと撃っているシーン
機銃掃射の様子を少しだけ思い出していただきたいんですわ。
機関銃弾が地表や標的に命中するシーンを戦争映画なんかで見ると
着弾が一直線に走り抜けるように演出されることが多いですよね。
でも実際には、先のほうでブレて飛び散って被弾してる感じですし
映画の中の世界ほどには連射能力も高くないように見て取れます。
ところがこの幅1尺ばかりの石柱に刻み込まれた弾痕ときたら
たかだかB5の紙1枚程度の範囲に4発も着弾してるわけで、
それがなんともスゴいと云うか不思議と云うか、気になったのです。
想像の域を出ませんが、こりゃもうかなり何か明確な標的を捉えた
冷静な射手が狙いすまして正確に撃ち込んだものぢゃないかなト
でなきゃこんなに集中的に映画的には着弾せんやろト
少なくとも、たまたま飛んできた流れ弾じゃぁないよなト
そんな悲痛な推理の傍証ですわ。
投稿: kamonegi@ | 2009.06.21 23:03
Junさん、同感ですが・・・
かもさんの説を読むと、確かにこの弾痕変ですね?
そもそも空襲のあった当時のお初天神のあたりって
どうなっていたんでしょうか?
もしかしたら梅田界隈焼け野原で、上空から神殿前
二本の石柱は丸見えになっていて戦闘機のパイロットが、
遊びで狙ったのかも知れませんね・・・弾痕位置が根元やしね・・・?
投稿: 路爺 | 2009.06.21 23:13
ご賢察おおきにです。
砲兵工廠関連や北野高校など著名どころの遺構だと、弾痕1発だけだったり、もう少し散発的な感じが少なくないですもんね。
映画や、陸戦で破壊された欧州の廃虚のイメージしか頭に無かった頃は、それ見て「なんでこんな中途半端な撃ち方やったんやろ…」って逆に不思議に感じてましてん (゚ー゚;
> 遊びで狙ったのかも
それそれ、ぼくも調べたり考えたりしてるうちに、そんなふうに思いました。
自国の制空権を失い、防空対空のインフラすら尽きていたんでしょうねぇ。
投稿: kamonegi@ | 2009.06.22 01:23
戦時下の写真を「お初天神&空襲」で検索してみましたが
ヒットなし。。。梅田に変えても出てきませんね?
25年程前かな、戦後境内に違法でやっていた飲み屋群を
撤去させるとありましたが、このような違法占有があった
ということは、空襲で焼け野原状態やったんでしょうね。。。
もしかしたら神殿も焼け、構造的に鳥居も倒れ、この石柱二本のみ残っていたのではないかと?
投稿: 路爺 | 2009.06.22 09:18
米軍機は結構遊んでたみたいですよ。
私の高校時代の先生が、戦時中、小学生だったのですが、明石の田圃で「グラマン」に追いかけられた経験があるそうです。
パイロットは逃げる先生(子供)に並行して機銃掃射して、なぶりものにした挙げ句、前を低空で横切って手を振って飛び去ったそうです。
先生は命拾いした訳だけど、嬉しいより悔しかったって。
ヨーロッパでも米軍の標的にされた教会の彫刻とかあったみたいですよ。(ドイツとか)
投稿: Jun | 2009.06.22 21:51
負け戦ですからね・・・
残っている弾痕を調べたら案外、この手のモンが多かったりして・・・
投稿: 路爺 | 2009.06.23 00:15