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2009.07.10
2009.07.05
平野鉱泉跡<4>確証?
濾過水槽であろうと予測はできたものの、社名や所有者名を記した「文字」がどこにも見られません。やたらと測量をした指標杭や境界杭があり、しっかり登記簿的に管理された土地であること、何年かに一度、人の手が入った痕跡がありますし、グーグルマップには、しっかりと載ってますね。
三ツ矢サイダー記念館側の説明看板には「4段の濾過槽」とありますが、噴霧状にって、あんなオープンな施設で?炭酸ガスは重いから大丈夫なんかな? あ、それで酸欠ならないようにスリッドの入っただけの窓になっているのかな?
中に入れない資料館の窓にへばりつき・・・ああ、当時の工場の平面図があるやん・・・ああ見たい、このデジカメではこれ以上のアップで撮れないが、右下にあの3連の濾過槽らしきもんが記載されてますね。文字が読めたたらええんですが???
ならばと三ツ矢サイダー記念館のサイトを見たら、ああ、同じ図面が!!でも小さすぎて読めない~p(ToT)q
お?こんな写真もアップされてますが、右下のボンベ!!
門柱に使われていたのとウリソツ!! という分けで「推定平野鉱泉跡施設」やろなぁ~レベルでした。
いつまでこの地でサイダーを製造していたのかと調べてみたら、昭和29年8月までサイダーを製造し、炭酸ガスは昭和42年まで製造していたとか・・・でも、昭和42年って1967年?今から42年前に廃棄されていたら、あの程度の破損状況ではすまなかったはずでしょ?
2009.07.04
平野鉱泉跡<3>中は・・・
まず真正面の入り口から中を覗くと・・・ん?なんもない、がらんとした水槽か? 湿った泥以外になんもありません。 天井の梁を見ても、壁をみても配線跡もない? 電気が来てない建物なんて??? 真ん中のコンクリートの台のところにバルブみたいなものが???
横からもう一つ上のブロックを崩れた壁から覗くと・・・空の水槽の上に水をたたえた水槽が・・・
建物の中の一番上の水槽には魚が泳いでます?大水が出たら一番上の水槽に外部から水が入ってくるんだろうか? その割には建物の裏側は壊れてませんね?
そこでさらに藪を分けて上に上ってゆくと・・・あ、ラピュタみたい! 綺麗な水をたたえた外部水槽!? 藍色をしてます、かなり深い?
さらに、さらに、おおお鋼管!! これで先ほどの外部水槽に水を導いていたんやね!! って事は、さらにこの上に水源の池があるとか・・・
代わりに砂防ダムがありました。石組みなんぞあってかなり古い感じで、このダムの上流は土砂で埋まってまして竹林に。きっと崖が崩れないように竹を植えたのが繁茂したんでしょうね。ダム周りは、下草もなく手入れされた水源地って様相でした。さて、この一連の施設はなんでしょうか・・・懸命な方々は、お分かりですね・・・ダムと外部1槽、内部3槽の大掛かりな流水ろ過装置ですね。
では、これが平野鉱泉とどう関わるんでしょうか・・・踏み切りを越えて記念館(現在閉鎖中)へ行って見ましょう~
2009.07.02
平野鉱泉跡<1>序
行波の謎解きを愉しんで時計をみたら15時半、まだ時間があるんでご近所の輪友かもさんにメール・・・あ、やはり居ました~何に何、平野鉱泉跡の踏み切りの奥に・・・行きましょう!!見に行きましょう!!で、付いたら鉱泉跡前にあったホームセンターがありまへん?さて、平野鉱泉はなんで有名なんでしょうか?
そうなんですよ、三ツ矢サイダー発祥の地なんですね!! 10年ほど前に「炭酸泉めぐり」ちゅーて、宝塚>ウイルキンソン炭酸泉跡>平野鉱泉跡を走ったことがりますが、そのときはウイルキンソンの工場とそっくりな赤い柱の工場の建物が、まんまホームセンターに使われていましたね。
今は、夏草が風に揺れるばかりです。江戸時代には、このあたりに沢山の温泉宿があったと聞きます。ほんま「今は昔・・・」ですなぁ~
鉱泉跡地はのちほど・・・今日の目的地は、この踏切の奥にあります。
大きなクヌギが迎えてくれますが、よく見ると妙見山下の黒川で見た台場のクヌギと同じように根っこ付近が膨らんで変形してますね。これは、このあたりでも昔、木炭を量産していた証でしょうね。でも、黒川との形が格段の違いのは、長い間、木炭作りに使われず上に幹が伸びたってことでしょうか?
さて、いよいよ、その建物とご対面です・・・工場跡?意匠がかわいいので別荘?なんでしょうね?
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