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2009.09.22

鳴川街道

改めて旧四条村内を徘徊してみると、子どもの頃は疑問にも思わなかったんですが、今、違った視点で見ると、なんで大きな蔵持農家多数が連立できたんやろかと・・・?

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まるで武家屋敷・・・

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これだけの屋敷を維持できる財源があるんやから、そら布団太鼓、大太鼓、小太鼓の二台持てるよなと・・・

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ヒントは、このお地蔵さんにあったりして・・・

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うまく撮れなんだ・・・

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そうか・・・南北朝末期から奈良への交通の要所やったのね。そうやって考えると少し南の暗峠山麓の旧村も四条村と同じような規模ですね。この地蔵さん横が鳴川峠への道です。

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村内に移築された出合地蔵さん・・・実家のほん近所なんですが、由来を全く知りませんでしたわ。千年近く前からいたはった地蔵さんやったのね。

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こっちはうまく撮れた~♪

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ちなみにこちらの地蔵さんは、地蔵盆の時にお菓子貰ったりした地蔵さんです。

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建設委員やて。。。けっこう新しかったんですね。。。見知った苗字もありますわ。

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コメント

人や物資の流れには、金が落ちたんでしょうね。。
都市に近い農家の蔵は大きいですぞ~^^

こんな所にもまた、ポタ行きたいですね。。

投稿: inisieJOLY | 2009.09.25 09:23

なんで実家周辺の旧村以外の宅地って
元川の跡、元池の跡ちゅーとこが多いですわ
私の実家前は、もと川やったと母が言ってます。

投稿: 路爺 | 2009.09.25 12:33

元墓地よりは素敵かと・・・

投稿: Jun | 2009.09.25 21:10

いやね、旧四条村の墓地、宅地のど真ん中ですねん
ま、その墓地が先にあって、あとから家が建ったんですが
子どもの頃、そこでまだ焼いてましたもの・・・・
今は、どうなっているのか、次回見てこようと思ってます

投稿: 路爺 | 2009.09.26 00:37

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