2009.11.30
2009.11.29
2009.11.25
神戸市/垂水1:まずは舞子、若宮八幡宮
舞子ビラで大学の同窓会があるというので、初参加・・・うーほとんど役員ばっかやんって会でした。当然、それに付随してプチ徒歩徘徊~♪ 行きしなは雨、須磨あたりでこの空模様。ラピュタ降臨か、ゴジラ上陸かーって空模様でしたわ。
JR舞子につく頃にはお日様が差し出し・・・舞子ビラに行く前に明石大橋の袂にある若宮八幡宮へ。
小さな社と・・・
ちわわ見たいな狛犬さんがいる境内でした。
神社の脇にあった石碑、今回、この手のものをよくみかけた。海岸が迫っている場所だけに・・・ってか~て感じかな?
八幡宮をあとにして振り返ると民家の向こうに明石大橋、なんかシュールねと思えたりして・・・
会が終わる頃、ぴーかん♪!
ホテルの敷地内にこんな石碑が・・・なんの説明もなく・・・???
遺構から見たら小屋?ってことはないでしょうが???
2009.11.24
<京都:嵐山~太秦>11/蚕ノ社
さて、最後は「蚕ノ社」でしょーの前に大酒神社に立ち寄りましょう~ここは、ほれ以前、かもさんと行った穴織宮伊居太神社(池田市) と漢織呉織松(JR西宮駅)同じようないわれなのかと・・・
クリックすると大きくなります。2社の由来説明を読むと大酒神社の由来にある漢織、呉織と、穴織宮伊居太神社の二人の縫工女とは異人とあると書かれてますね?・・・どうもこの縫工女の記述が前々から気になっていて、一度、その関係の地をたどってみたいと思っています・・・奈良県のあやめ池、京都府の綾部等・・・いつのことになるやら。
少し東へ歩くと蚕ノ社(この呼び名は通称で、正式には「木嶋坐天照御魂(このしまにますあまてるみむすび)神社」といいます。神社周りの森を「元糺の森(もとただすのもり)」と呼ぶそうな。
神殿、拝殿は明治以降のものだとか・・・
なぜ蚕ノ社と呼ばれるのかといいますと、本殿東側にある蚕養(こかい)神社(東本殿)が祀ってあるからといいます。
柱が邪魔をして、うまく撮れまへん・・・
なので各地から養蚕や織物の関係者の信仰を集めていたそうです。なので、神殿の石垣に・・・西陣の方々が、この石垣を奉納したんでしょうね。
なので帰り際、一の鳥居をしかと見ると・・・あら・・・(^^;; 糸偏産業に力があった時代の産物でしょうね。
ちなみに神紋は、葵。
有名なのが、ここ・・・神社周辺の道路工事の影響で泉が湧き出なくなってしまったとか。本来は、三角鳥居の真ん中の石組みのところから泉が湧き出ていたそうです。今は、枯れてしまったので神事のときだけ水を入れるそうです。
帰り際に気付いたんですが、境内に入ってすぐにお稲荷さんが祀ってあります。
洞穴みたいな状態にして祀ってあります。毎回、お稲荷さんで感じる「いてはりますわ度」びんびんでしたね。
お、そうそう、お稲荷さんの横に・・・椿も神さんになるみたいですね。
おまけ・・・出たところすぐ・・・コナレてますなぁ~♪
2009.11.22
<京都:嵐山~太秦>10/大映通り商店街
有名なココに出ます。お、商店街の電飾の上、キャメラになってますね。
商店街の中ほどに八幡さんがありまして・・・
このような碑が建ってまして・・・裏を見ると超有名な俳優さん、女優さんの名前が連なってまして・・・
ほーということは、映画に関係する方々と縁がある神社やねんと・・・再度、鳥居をみたら、あ、やっぱし!!
更に見たら・・・大河内傳次郎さんの名前が!!
おお、片岡千恵蔵さんの名前も!!
記名されている方々も・・・
当時、映画界ではそこそこな方々やったんでしょうか?
今となっては・・・
その割りに説明看板が、かすれて全く読めなかったりする・・・八幡大菩薩に三吉稲荷神社とどれが正式なんでしょうかね???
2009.11.20
2009.11.18
2009.11.17
<京都:嵐山~太秦>7/斎名神社(神明神社)
西高瀬川(後述予定)を渡って、斎名神社へ・・・ん?愛宕山の灯篭?!、京都市内に多いですね~、どれくらいあるんやろかと思うほど市内のあちこちで見ますわ。
こじんまりした神社です。
由緒書き参照・・・天竜寺の境内に~とありますが、昔は、一区画全て境内で、ほんと大きかったらしいとか。境内神社とか宿坊が残っているそうな。
脇には、お地蔵様
小さいながら能舞台もあり・・・
本殿・・・
完璧に読めまへんが、おみくじの能書きみたいですね
摂社・・・隅々まで、手入れが行き届いてますわ。
ん、手押しポンプを木箱で覆うなんて、なんか京都らしい・・・♪
ぽつんと奉納者の石柱・・・探せば、いろんな神社にこの方のもんがあったりしてね・・・
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