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路地奥に質屋・・・これもよくあるパターンですね。
んで、手前の建物を見たら・・・あら、これって・・・
銭湯ですやん!!屋号は「宝湯」・・・
廃湯ですね・・・ここに「男湯」か、「女湯」って表札があったんでしょうね。
表路地に出て、改めて見たら確かに銭湯の湿気抜きの窓です!!
煙突も残ってます・・・廃業して間がないんでしょうか・・・銭湯が廃業する街って人の往来が少なくなったか、家風呂の完備か・・・この街は?
投稿者 路爺@宝塚 時刻 23:53 | 固定リンク Tweet
そのあたりね、2004年の台風の時、洪水で一番被害が大きかったんで、それまで営業していた老舗の店舗が軒並み廃業しちゃったんだ。 映画館もあったけど、もう建物も取り壊しちゃって、その近所に別の人が焼き肉屋を始めた。 その名も「つかりや」 水に浸かったからって、ちょっとしたジョークなんだって。 新しい家とかあったでしょう? 洪水で住めなくなったんで、古い家を建て替えたところなんです。 水深1m50cmとかあったらしい。 うちの上司も数ヶ月は浸からなかった二階で暮らしてました。
投稿: Jun | 2010.11.13 00:33
この台風ですね。。。覚えてますわ! 武庫川も大変な状態になってました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%88%9016%E5%B9%B4%E5%8F%B0%E9%A2%A8%E7%AC%AC23%E5%8F%B7
西脇って、人口もさほど減っていないし・・・ ロードサイドに有名店も出てるし 街中には、某有名量販店もいるのに なんで、あの商店街が!!と思ってましたが この台風が原因やったんですね!!
投稿: 路爺 | 2010.11.13 01:13
商店街が廃れたのは、量販店のせいですが(--;
台風は恐かったね、ほんま・・・ 西脇は死者1名。 うちの社員も数名被災して、家も自動車も家財も全部失った子もいました。 社内で一番オシャレだった女の子が数日救援物資のジャージ着て救援物資の自転車で通勤してました。 でも、神戸や阪神地区が、そっちも被災してたのに、「大震災の時に世話になったから」って、いっぱいボランティアで後片付けに来てくれて、ほんまに助かりました。 特に高校生や中学生が大勢来てくれました。
ありがとうございました。
投稿: Jun | 2010.11.13 09:28
やっぱ、あそこね・・・あの量販ね!! でも、同じような量販店あった社の商店街は かろうじてなんとか、やってましたね? 西脇の街中をああしてしまったのは、自動車の普及も 一因でしょうね・・・ しかし、あれは他で見たことがない景観ですよ!! シャッター商店街ってもんやない!! 役所は、何を考えてこの量販店の進出許可をだしたねんと 思いましたわ。。。
投稿: 路爺 | 2010.11.13 16:51
まだ、国道が町中を通っていた80年代はまだ商店街も活気がありました。 で、国道狭いし、何故か西脇多可地域の国道は175も427も90度に曲がる箇所がいくつかあって、交通渋滞と事故多発。 それで、国土建設省(当時)は加古川沿いにバイパスを建設しました。 西脇市は慌てました。 国道が市街地からずれたら、人が来ない。 それで、Dイエーのハイパーマートを誘致しました。商店街の店がこぞってハイパーのテナントに入り、商店街から引っ越しました。 Dイエーは、震災の後でおかしくなって、西脇から撤退しました。 テナントに入っていた商店は、元に戻りたくても借金あるから戻れません。 潰れました、みんな・・・ 今商店街で店開けてるのは、あの時Dイエーに入らなかった店です。皮肉にも時勢に乗り遅れたために生き残りました。 Dイエーの跡地にイズミヤが来ましたが、テナントは東京や大阪のお店です。(イズミヤは、老人ばかりの地元の商店に、一応声を掛けたそうですが、テナント料払えないので、みんな入れなかったんです。)
あの量販店は、その商店街の悲劇の後で、もう少し郊外に出店してました。 現在の場所に移ったのは、そこに元あった繊維会社が廃業した跡地が空いたからです。 だから、「罪作りの量販」は、あの店ではなく、撤退した、あっちの店です。
投稿: Jun | 2010.11.14 00:19
なんちゅー・・・ひどい・・・
投稿: 路爺 | 2010.11.14 00:29
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コメント
そのあたりね、2004年の台風の時、洪水で一番被害が大きかったんで、それまで営業していた老舗の店舗が軒並み廃業しちゃったんだ。
映画館もあったけど、もう建物も取り壊しちゃって、その近所に別の人が焼き肉屋を始めた。
その名も「つかりや」
水に浸かったからって、ちょっとしたジョークなんだって。
新しい家とかあったでしょう?
洪水で住めなくなったんで、古い家を建て替えたところなんです。
水深1m50cmとかあったらしい。
うちの上司も数ヶ月は浸からなかった二階で暮らしてました。
投稿: Jun | 2010.11.13 00:33
この台風ですね。。。覚えてますわ!
武庫川も大変な状態になってました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%88%9016%E5%B9%B4%E5%8F%B0%E9%A2%A8%E7%AC%AC23%E5%8F%B7
西脇って、人口もさほど減っていないし・・・
ロードサイドに有名店も出てるし
街中には、某有名量販店もいるのに
なんで、あの商店街が!!と思ってましたが
この台風が原因やったんですね!!
投稿: 路爺 | 2010.11.13 01:13
商店街が廃れたのは、量販店のせいですが(--;
台風は恐かったね、ほんま・・・
西脇は死者1名。
うちの社員も数名被災して、家も自動車も家財も全部失った子もいました。
社内で一番オシャレだった女の子が数日救援物資のジャージ着て救援物資の自転車で通勤してました。
でも、神戸や阪神地区が、そっちも被災してたのに、「大震災の時に世話になったから」って、いっぱいボランティアで後片付けに来てくれて、ほんまに助かりました。
特に高校生や中学生が大勢来てくれました。
ありがとうございました。
投稿: Jun | 2010.11.13 09:28
やっぱ、あそこね・・・あの量販ね!!
でも、同じような量販店あった社の商店街は
かろうじてなんとか、やってましたね?
西脇の街中をああしてしまったのは、自動車の普及も
一因でしょうね・・・
しかし、あれは他で見たことがない景観ですよ!!
シャッター商店街ってもんやない!!
役所は、何を考えてこの量販店の進出許可をだしたねんと
思いましたわ。。。
投稿: 路爺 | 2010.11.13 16:51
まだ、国道が町中を通っていた80年代はまだ商店街も活気がありました。
で、国道狭いし、何故か西脇多可地域の国道は175も427も90度に曲がる箇所がいくつかあって、交通渋滞と事故多発。
それで、国土建設省(当時)は加古川沿いにバイパスを建設しました。
西脇市は慌てました。
国道が市街地からずれたら、人が来ない。
それで、Dイエーのハイパーマートを誘致しました。商店街の店がこぞってハイパーのテナントに入り、商店街から引っ越しました。
Dイエーは、震災の後でおかしくなって、西脇から撤退しました。
テナントに入っていた商店は、元に戻りたくても借金あるから戻れません。
潰れました、みんな・・・
今商店街で店開けてるのは、あの時Dイエーに入らなかった店です。皮肉にも時勢に乗り遅れたために生き残りました。
Dイエーの跡地にイズミヤが来ましたが、テナントは東京や大阪のお店です。(イズミヤは、老人ばかりの地元の商店に、一応声を掛けたそうですが、テナント料払えないので、みんな入れなかったんです。)
あの量販店は、その商店街の悲劇の後で、もう少し郊外に出店してました。
現在の場所に移ったのは、そこに元あった繊維会社が廃業した跡地が空いたからです。
だから、「罪作りの量販」は、あの店ではなく、撤退した、あっちの店です。
投稿: Jun | 2010.11.14 00:19
なんちゅー・・・ひどい・・・
投稿: 路爺 | 2010.11.14 00:29