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どう見ても「車止め」に見えてしまうが、しっかりと紀元二千六百年記念と刻まれているから、めでたきことなりと記念碑が奉納されてたんであろうが・・・いつしか、その記憶も失われ、車止めの石杭に利用されたと想像するのは、あながち間違いではなかろうと推測する也。
同じく境内に折れて補修された愛宕灯篭と・・・
白神大神の塚石・・・もうちょっと大事にしてほしいもんです。
投稿者 路爺@宝塚 時刻 00:22 | 固定リンク | コメント (4) Tweet
酒の神様&安産祈願の神様・・・なんで、妊婦ならびにそのご家族が、願をかけてお百度踏みやすいようにこのように整地したのだろうか?
お百度石アップ
投稿者 路爺@宝塚 時刻 00:13 | 固定リンク | コメント (2) Tweet
今朝、阪急からJR大阪駅へのルートが新しい駅ビルのデッキ沿いに歩けるようなっていたのでいってみて驚いた!いつの間にこんなビルの建築工事が進んでいる!?
投稿者 路爺@宝塚 時刻 16:27 | 固定リンク | コメント (2) Tweet
教会の庭に机がポツンと・・・暗号の様にガムテに「予備8①」「天△」?・・・考察中・・・考察中・・・考察中・・・ああ、きっとそうだ!!と内心で納得・・・
投稿者 路爺@宝塚 時刻 00:01 | 固定リンク | コメント (0) Tweet
これは東京の番地札・・・別にコレと言って差異もなく・・・
これは西宮の番地札・・・コレも同様に。全国共通なのねぇ~と思いきや・・・
一見同じに見える神戸の番地札・・・よく見るとちょっと違う?
薄くて写真では判別しにくいが、区、町名明記部分の形状と位置が違う。この特異性は神戸のみか?して、その理由は?
投稿者 路爺@宝塚 時刻 23:45 | 固定リンク | コメント (0) Tweet
1月の東京出張の折、時間の許す限り街中を徘徊して見た。関西だと神社近辺でこんな家を見つけると必ず旧村や町屋群がその周りに展開してるのだが、東京ではこの法則が当てはまらない?明治維新時の動乱、関東大震災に戦災、最近の地上げに再開発、多数な要素が絡んでの事でしょうね。バックボーンの過去文化風景の残らない街、東京。常に変化する不安定な風景の街・・・
投稿者 路爺@宝塚 時刻 11:23 | 固定リンク | コメント (2) Tweet
天満橋の坐摩神社・・・前にも一度参って写真を撮ってました。今回は、経験を積んだ目で・・・なんてね~たいした眼力やないですが~小ねたです。。。(^o^)b
由緒です~
神さんのお使いは、白鷺? しかし、ルビないと読めないですね?
ほんで境内の端っこに・・・う~ん、どう見ても力石?
投稿者 路爺@宝塚 時刻 00:59 | 固定リンク | コメント (3) Tweet
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