【猪名川町】 野辺ぶらり<2> 流れ橋類型
石道で見た流れ橋・・・前回のはココ・・・その少し上流、フチノ上って場所かな?そこに同類も流れ橋がありましたね。
橋脚部分も同じです。これは、きっと組織だって一気に作ったんでしょうね~・・・
ちなみにこの流れ橋の上、大野バス停間にも同類のものが・・・こちらは二枚板ですが、やはり同じ構造で、同じ橋脚でした。やっぱ木材を流すための流れ橋なんでしょうかね。
石道で見た流れ橋・・・前回のはココ・・・その少し上流、フチノ上って場所かな?そこに同類も流れ橋がありましたね。
橋脚部分も同じです。これは、きっと組織だって一気に作ったんでしょうね~・・・
ちなみにこの流れ橋の上、大野バス停間にも同類のものが・・・こちらは二枚板ですが、やはり同じ構造で、同じ橋脚でした。やっぱ木材を流すための流れ橋なんでしょうかね。
あいもかわらずの行きなり「走ってきたらぁ~」な、お上のひとこと@土曜日の朝・・・やれやれ~誰も誘えんがな・・・ということでブラッと猪名川町をうろうろ。紅葉が見事でありました!!でもね・・・ココ、新名阪が通るのよね。次に来たらこの椛、ないかもね。
猪淵の八坂神社から・・・新名阪の工事現場。この里山の風景の中に架橋が通るんだろうなぁ~なんだかなぁ・・・
上野の旧道・・・いい感じの町並みが残っていたのに消滅していた!!
そこから西を見る・・・なんだかエヴァンゲリオンの1コマを見ているような気持ちになる。
もしかして!!石道の集落も!!慌てて見に行くと工事中・・・インター建設用道路建設って???え、ここに川西インターができるの!? ココを通って三田へって、いったい誰が利用する道路になるんだろうか??? 近郊に残された里山地帯を破壊してまで???
ひゃあ~すごい量の火箸!!・・・これは、なんとなく理解していたものの・・・
祖父母が銭湯をしていた関係で「カマドの神さん」である清荒神さに何回参ったろうか・・・と言いつつ本堂以外記憶にない???なので「荒神影向の榊」って何???って感じ???
榊に鍋???・・・それに細い木の棒???全く説明が書きないてことは、知らずに参っているのは私だけ???・・・こんな理由・・・ああ、しらなんだ!!!
参道を下る・・・中国縦貫道の下に橋・・・名前があったのか「祓(はらえ)禊(みそぎ)橋?」・・・って読めん(^^;;;・・・ネットで検索・・・あった「祓禊橋(みそぎばし) 明治44年竣工」やてぇ~
なんか参道、店が閉じてさびしいなぁ~と思ったら餅屋発見!!ゲット!!安い@80円の草餅と黒豆餅。塩味が微妙に効いて絶品!!また買いに来よう~♪
何度も来ている川面皇太神社・・・ん?神社名石柱の奉納者が気になったので帰宅後検索・・・一番大きな発起人「瀧野猪之助さん」は地元の名士かと・・・だめ、ヒットなし。
側面向かって右・・・商店名?赤岩善吉・北増蔵・下桜?・八百安・橋本軒店?・国包誠動組・・・ヒットなし。
その反対側・・・さし政・甲賀伊東店・中西寅吉・アミヤ食堂・茶園館・松山・茶月・寶山閣・・・ヒットあり~かも♪
さし政:安倉に「さし政建具店」というのがあるんでたぶんそこね。 アミヤ食堂は、焼き鳥のチェーン店「網屋」と関係が? 茶園館:隣駅の西宮名塩に茶園町というのがあるが関係あるんだろうか? 茶月:寿司のテイクアウトチェーン店と関連??? で、寶山閣:震災前に火災で廃屋に。ラブホの廃墟として心霊スポットになっていたよう・・・でも1枚だけ、下のような写真 (S.43.12)があった。ちゃんとしたホテルだったようで、戦前からあった宝塚温泉の老舗の旅館だったんでしょうね。どこぞに資料ないでしょうかね・・・当時の旅館50軒!!・・・泉山楼、分銅屋、水明館、七福荘、丸家、松涼庵、清滝、福亭、静山荘、れい月、宝山閣、喜三有、島家、栄山荘、こいけ、高城等・・・調べたらどこぞの神社の奉納者名に残っているかもね・・・って、おもろそう!!
西京極駅の南側に旧村があるのを最近まで気がつかなかった・・・交通量の多い七条通りからアプローチ~しかし、七条通り、車にバスにトラック、なのに路肩ない、道幅ない、なんとかせーよ>市役所といいたい道だわ。松尾三宮神社への参道~♪
天空不動?宇宙不動?なんやらスケールの大きなお不動さん???
鳥居前・・・ここまで来ると七条通りの喧騒も聞こえませんが、旧村の風情がない?
狛犬なにわ型でも、岡崎型でも、出雲型でもなく・・・彫が深い。
神社の周りをぐるっと・・・旧村の風情若干残るものの・・・もともとの旧村の規模が小さかったんだろうかな?
無造作に転がる角石群・・・行き場のない大きな石を放置するには丁度良い角地。奥に見える木が衣手神社。しかし・・・対立候補群の掲示板ですなぁ~
境内の愛宕灯篭・・・たぶん他所からココに運んで放置保存モノなんでしょうね。
鳥居前の石碑 しっかり載ってました~ココ参照。 合わせ口甕棺墓って???検索・・・あわせかめかんぼと読んで・・・かめかんぼって何はココ参照。
路地に入ると・・・おんや?お寺の門前に愛宕灯篭かな?でも、彫られている文句が違う?
守護所?・・・ネット検索で出る「守護所(しゅごしょ)とは、中世日本において守護が居住した館の所在地のこと。守護の政治的権限の拡大とともに政庁所在地としての機能が国衙より移されていった。」ではないでしょうね~(^^;;;;
この周辺は、秦氏関連の古墳が多い場所で・・・って、この扱いはねぇ~と思ってしまったが・・・
某メーカーの工場敷地に食い込むように鎮座するのが天塚古墳@伯清稲荷大神。
宅地と工場に挟まれるように・・・石室を二つ持つ珍しい古墳だそうで・・・って、我が故郷の瓢箪山稲荷神社も同様、石室を二つ持つ古墳で・・・って、こことの関係があったりしてね。
立派な石柱・・・ココには「白清」、社額や上の説明文には「伯清」???
もう1つのは、どこだろうかと・・・墳墓の周りをうろうろ・・・んー墳墓のてっぺんに塚がたくさんありますね。独特なオーラが出てますわぁ~
地下鉄太秦天神橋から阪急西京極まで業務徘徊~まずは、千石荘公園をば・・・って、なんで千石やねん???変哲もない普通の綺麗な公園???
端っこに石柱・・・皇太子?同妃殿下御会覧記念???なんやろか?調べたら柱上の端典ってスウェーデンの音読みだとか・・・???・・・近くの古墳を見学に来たらしい・・・とフィールドミュージアム京都のサイトに・・・いやはや、このサイトすごい!!で、千石名の由来は???
で、横に碑文???あああん?千石船がここに昭和25年まであった?!
千石船拡大・・・この船の言われはココ。橋下さんが、いらん、潰せ!!ほかせ!!って言っている海の記念館の千石船をここに持ってきたらええねん!!
その横に・・・明治天皇の歌碑。この公園の千石船を詠っているらしい・・・由緒正しい公園なんだそうだ・・・って~へぇー!!へぇー!!やね~
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