【藤井寺】フルタイムポタ<6>恒例、事後ネット検索検証
恒例、事後検索検証~まずは、国府八幡神社の奉納石柱・・・理性院をば・・・「真言宗の小野六流の一。賢覚(げんかく)[1080~1156]を祖とし、京都伏見の理性院を本寺とするもの。」とある・・・ん?横の潮音寺と関係があるのかと・・・「永仁3年(1295年)に創建の真言律宗の寺であったそうですが、後に戦火で消失し、寛永11年(1634年)に独長禅師によって再興されたと伝えられています。その時から臨済宗(永源寺派)の寺ととして始まり、今日に至っています。」・・・なんか辻褄が合うようで、合わないようで・・・この石柱、何時の時代モノ???
志疑神社の石灯篭・・・年号をよく見ると「貞享元年」?・・・現地だと読めたんですが写真では無理・・・あは、忘れた(^^;;;・・・施主江戸住とあって「藤本慶傳**」、苗字が許されてるんで、そこそこの身分の方、でないと江戸からわざわざ大きな灯篭を奉納できないでしょうね・・・でも検索ヒットなし。漢字が違ってるのかも???
伴林氏神社で、戦前は西の靖国神社と呼ばれ、左にちょっこと写っている手水舎は、東京の靖国神社から移設したもんだそうな。でも私の興味は、右に写る神社名の巨大な石柱の石台です~♪
ありました奉納者名「更池銀行」・・・何という農業チックな名前の銀行と思って検索&一発ヒット~明治29年~昭和17年にこの地にあった銀行で、農家を中心とする地域経済の振興に尽力したそうな・・・そうも各地に遺構があるようで・・・触れるとかなり深そうですわ。
同じく・・・道明寺温泉・・・速攻でヒットか!!と思ったら全く無い???銭湯だったのか、温泉地だったのか不明のまま???
松原JCT付近に取り残されたようにある大堀八幡神社の奉納石柱で・・・入口の一番大きな石柱の「朝鮮 小櫻吉松」ってきっと名士で金持ち&一発ヒット・・・が全くなし?
反対側の「東京 大堀市治郎」・・・土地の名前が苗字についてますからかなりの名士で、しかも東京から・・・ヒット~近代東アジア法制関連日本語論文データベースのリストに名前が出てますが、この方なんだろうか?弁護士か、大学の教授、法律家やったんかもね?でも上記のが「朝鮮」とあるんで、このお二人、なんらかの関係にはあったんでしょうね。
さて、今回最大の怪奇的な謎・・・古室八幡神社の神の使徒「鳩」の頭が切られている件・・・瓦、拝殿の欄間の彫り物、全ての鳩の頭が意図的に切られている???まじない?願掛け?なんやろか???今まで見たことが無い事案ですわ???
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