2013.06.28
2013.06.26
【伊丹】 川西補給廠側線跡を見に行く:5・安倉の旧村
さて、帰ろうと普段走らない道をゆくと・・・あらお寺・・・ん?石碑?
アップ・・・聖徳太子?御霊場って???調べたら太子の御霊を祀り、鎮める霊場で、霊場巡りがあるらしいが・・・聖徳太子御霊跡霊場で再検索・・・あ、あった一覧リスト!・・・中山寺がそうだったんや・・・が、このお寺ない???
2013.06.23
2013.06.16
【伊丹】 川西補給廠側線跡を見に行く:3・門柱
1947年米軍による空撮写真を見るに・・・この時点で線路が残っている感じ?当時は、田んぼと溜池しかなかったのね・・・境界を示す必要も無いわけや。
地図化・・・あら・・・今回、廃線跡を間違って見てきた感じ(^^;;;; 線路のあったであろう場所、少し盛り上がっていたのは・・・再訪してそこんとこ検証して来ないとね。上の航空写真と見比べると、この写真をベースに書き起こしたのかもね。
上の地図は、この戦争遺跡説明看板・・・かなり退色してたんで色補正してアップ。伊丹市役所さん、新しいのにしたら?
門扉金具・・・受け側・・・これらの金具がないと門柱と分からんでしょうね。
門柱跡の前は、鉄道計画が頓挫したけど買収した路線敷地が残って道路になった尼宝線(尼崎と宝塚を結ぶ予定だった)・・・この鉄路が開通していたらココから引込み線を・・・なんて想像しながら帰路に
2013.06.14
【伊丹】 川西補給廠側線跡を見に行く:2・トンネル
行く道、陸軍の境界石くらいは、あるかなぁ~と期待しましたが、線路跡地周辺は綺麗に整備された住宅地、やはりこのトンネルしか残っていないようですね。
見るからに鉄道のトンネルって形をしてますが、戦時中、ココを列車が走っていたなんて、もう誰知らないでしょうね。
こんな風に自転車を止めて何枚も写真を撮っているオッサンを皆さん、堂思っていたんでしょうかね~
大きなヒマラヤスギ、鉄路があった頃、ランドマークになっていたんでしょうか?きっと構図的に列車とあっていたんでしょうなぁ~
側面のコンクリート構造物に丁寧さが見られないのは、戦時中ゆえなんでしょうか?それとも経年劣化でしょうかね?
2013.06.13
【伊丹】 川西補給廠側線跡を見に行く:1・まず神社~
なんでも戦時中、JR中山駅から軍用の線路があったそうなぁ~で、見に行くが、周辺神社に軍関係の奉納品がないかと・・・まずは、前にもいった八王子神社再訪~ここの神紋は、なんお花なんやろか?
さざれ石?んー火山性の岩に見えるが、ここに置くなんの意味があるんやろか???
八幡神社・・・本殿が重要文化財なんよ・・・ここの奉納砲弾は以前にも・・・大正4年5月とあるんで日露戦争戦勝記念の奉納品やろね。砲弾の頭の螺旋状の傷が故に発射されたもんと思ったりしてね・・・真実はいかに?
施主は、大阪市南区難波桜川一丁目の小林福松さん・・・検索すると同姓同名さんがヒットしますが・・・このあたり出身の方なんでしょうねぇ~
ここの鳩さんの首は、みんな繋がってます、コレは古い瓦の鳩さん・・・なんで気になるかといいますとココ参照。
鴻池神社では、この石作りの水槽(大正元年11年)を見てると・・・
石工さんの名前が刻んでありましたわ・・・寺本村(伊丹市)の石工・前田定吉さん
その横・・・なんか南蛮人?みたいのを大砲で蹴散らしてる?・・・あ、右端の桐の紋は豊臣家?ってことは、朝鮮遠征?・・・う~っと、で、結局、軍関係なしかぁ・・・残念
2013.06.09
2013.06.08
【JR大阪】消え行く風景~コンテナーヤード
2005年、こんなコンテナーヤードの風景をブログにアップ、2009年、JR大阪駅建設中で・・・2013年、グランフロント大阪開業・・・コンテナヤードは・・・?
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