【古物NET探索】<3> 富士川古写真考察
ネットで見たこの古写真・・・おお!!下宿のあった沼津市浮島やん!!
なんで一発で分かるかといいますと富士山と手前の山の稜線が織り成す風景がポイント。ちょっと他のサイトから拝借・・・ここに2年間暮らして居ったのですね~30ん年前。上の写真は、↓この写真のもっと奥でしょうな。
検索するとこんな長崎大学のサイトがヒット・・・中々面白そうな収納コンテンツで、つい見入ってしまいましたが、別の浮島の写真もありました。浮島とよくいったものですわ。胸までつかる湿田やったと聞いておりました。帆掛け舟かぁ~とよく観たら最初の古写真には畳んだ状態の帆と柱らしきもんが写ってますね。
で、先日の京都市立美術館・・・富士川に帆掛け舟。しっかりと右斜面に宝永火口が描かれています。ココがこれから見る古写真のポイント!!
コレは田子の浦、帆の形と大きさが似通っているので↑上の絵は河口域なんでしょうか?
ちょっと他のサイトから拝借・・・手前が富士川、宝永火口が右側に写っています。
これも富士川・・・ん?↑上の写真と同じ場所かもです!!ってことは富士川橋!!ベストアングルって、時代が変わって、撮る人が変わっても同じようになるもんですね~♪
では、宝永火口を東側から見たら・・・ネットより拝借・・・須走から見た宝永火口ですが・・・
じゃあこれは?↓・・・↑上の写真と同じ方向から撮ってますが・・・おかしい!!
地図を見るに・・・川が無い!?こら合成写真ですな・・・富士川に浮かぶ帆掛け舟と東側から見た富士山を合成したんでしょうね。最初、伊豆半島を流れる狩野川かと思ったんですが絶対に宝永火口が見えない!!いやはや・・・と思ったんですが・・・いや待てよ・・・手前の稜線と松林って・・・
あ!!裏焼きやん!!・・・左の古写真の背景にある稜線と松林、一緒やん!あははは、笑うな~(^o^)b やっぱ時代が変わって、撮る人が変わってもベストショットポイントは同じってことで~古地図がないんではっきりいえませんが、富士川を渡る橋がココにしかなかったのかもね。
国土地理院の地図で現地を見ると・・・たしかにココしか橋が無かったみたいね。アングルが安定しなかったので、どうせ見にこれまいって感じで反転させたんでしょうね。
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