【大阪】再び朝潮橋あたりブラブラ~4:神社オンパレ~♪
古地図を見ての薀蓄は前回でおしまい・・・ブラブラした神社オンパレーで・・・まずは、三先天満宮。池田屋大吉さんが、新田開発の成功を祈願して天保6年(1835年)に勧請されたそうです。空襲から免れたとHPにありました。
鳥居をくぐってすぐ左にに「末社・寝牛社」があります。この牛の石を煎じて飲むと眼病に効くということで、頭と首がない???
本殿横すぐには「幸宮」・・・おお、しあわせになるんやぁ~と思ったんですが、きっと「幸ノ神=塞ノ神」でしょうね。結界の神さんですね。
奥に「狛犬社」、古い狛犬が祀られていますが中が見えなかった、残念~
三先天満宮からちょっと南にある福崎住吉神社・・・由来はHPに・・・この神社も新田開発祈願のために福崎孫史郎氏によって天保6年(1835年)に勧請された神社って、おとなりの天満宮と同時期なんですね。洪水で流されたり、尻無川の工事で移動したり・・・とか。
参道の階段の奉納者の名前が裏にありました。井に○で下に錫って???錫を商っていたとか?
次は三津神社へ・・・神社のHPはない?・・・由縁は・・・なかなか複雑ですなぁ~石田三右衛門が石田新田開発祈願で明和五年(1768年)に勧請、創祀にあたり天照皇大神を奉斎して石田皇大神宮と称し、明治40年10月7日石田皇大神宮へ、田中町村社の田中産土神社を合祀し両町名の一字ずつを取って社号を石中神社と改称した。明治42年石田神楽町へ移転遷座其の後大正2年10月6日八幡屋町の八幡屋住吉神社を合祀し、三つの津、三つの社を合祀されたところから社号を三津神社と改称され昭和8年3月田中元町五丁目に移転し社殿改築御造に着工、昭和11年10月16日新社殿の完成と共に御遷座せられたが、然るに昭和20年6月1日戦災罹り焼失するに至った。昭和42年3月現在地(夕凪)へ移転、同年12月20日新社殿竣工と共に遷座された。
鳥居をくぐってすぐにある遥拝所って・・・どこに向いているんでしょうね?お伊勢さんかな?しかし、今までに見たことがない場所に鎮座してますが???
最後は弁天町駅前の三社神社、なんだかんだといって一番古い?・・・由縁は、以下参照・・・元禄11年(1698年)11月、伊勢国桑名の市岡與左兵衛宗勝氏が、新田開発の工事の安全と開発の成功と開発された地域の守護神として、天照皇大神・豊受大神・住吉大神の3柱を祭神として勧請。
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コメント
狛アルマジロ・・・?
投稿: Jun | 2015.03.01 23:14
そう見えるかも~♪
ガリ狛くんって呼んでます>わたし(^o^)b
投稿: 路爺 | 2015.03.01 23:32