リレー徘徊9 世界文化遺産にもなった京都の伏見稲荷大社~(裏参道編)
今回は、伏見稲荷大社の裏参道の見所をかいつまんで紹介しています。社務所で配布され居る巡拝のイメージマップでは、この部分が真っ白。境内の外で、伏見稲荷大社さん関知せずって場所のようです。しかしながら稲荷山信仰の集積地、祠、社、お宮、狛犬、狛蛙、唐獅子に仏像が混ざり合って登場する混沌カオスな信仰の場所で、最初来た時は、この混沌な風景を頭で処理できずくらくらした覚えがあります。
今回は、伏見稲荷大社の裏参道の見所をかいつまんで紹介しています。社務所で配布され居る巡拝のイメージマップでは、この部分が真っ白。境内の外で、伏見稲荷大社さん関知せずって場所のようです。しかしながら稲荷山信仰の集積地、祠、社、お宮、狛犬、狛蛙、唐獅子に仏像が混ざり合って登場する混沌カオスな信仰の場所で、最初来た時は、この混沌な風景を頭で処理できずくらくらした覚えがあります。
今回は山麓編といいながら稲荷大社案内地図の話がメインです。なんせ「200m以上ある山間地」にある神社群ですから「地図」携帯は必須と思います・・・って、最初に北側の今熊野から知らずに登って「おおん?鳥居がよーさん並んでる?!ここは何処やねん?」ってことに。今回調べ直したら頂上直下の四ツ辻で、さらに上に神社群があったなんて知らずに下山、もったいない事をしたことと取材で何回か行ったんですが、地図を持たずに行ったら全体の構成ができずオロオロ・・・あとトイレ、最初に登った時に滅茶焦りました。まさか神域で用をたすなんて出来ず膀胱爆発寸前〜(^^;;;;
今回から4、5回に分けて伏見稲荷大社&深草周辺を書こうと思っています。大社へ行く前の寄り道としてJR京都駅前のお旅所へ。京阪伏見稲荷駅下車してからも寄り道〜♪境内に入るのは2、3話先かな???
先日の「【西宮】西国街道詳細徘徊〜試しにやってみたら・・・」の続き、時間がなかったので対岸の髭茶屋付近をうろうろ、このあたりは昔から用水路が多かった地区のようで・・・
常松春日神社の駐車場にもごろごろ・・・用水路の護岸に使われていたのかもね。大水出た時に幹線である西国街道に影響がないように強固な護岸が施されていた・・・なんてね。
ふと道端に転がっていた石をみたら石ノミの跡があった?何かに利用された欠片なのかもね。
新幹線をくぐって帰路に・・・と思ったら石碑がある?初遭遇、まったく気づかなかったです。
裏面は「大正十一年三月 西宮町 藤本拾次郎殿」、ここまでしっかり彫られていたら氏名でヒット楽勝と思ったらヒットなし。
道路改修って? その道路は・・・新幹線の高架工事で破壊?それとも土手からの降りる道?これほどの石碑なので、西国街道がらみなんだと思うんですが・・・といいことで古地図を見ると・・・
赤い印が子の石碑で、道路改修の大正11年は1922年で、古地図からみると今の国道171号線の甲武橋が先にかかり、土手から西国街道の髭茶屋までの道を改修された費用を出されたんでしょうね。いわば幹線である西国街道へのバイパス工事かな?ある意味で無駄な出費ですが、早急さが必要やったんでしょうね。
前回からの太秦大映通り商店街の続きです。広隆寺、大酒神社、そして蚕ノ社と回りますが、調べ直してみて改めて「このあたりみんな秦氏がらみ」なんですね。始皇帝の末裔として渡来し、西宮の浜に上陸して、池田を経て太秦へやってきた。まさに歴史は地続き〜を実感しましたわ。で、地元の方が蚕ノ社と呼ばす正式名称の「木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)」を縮めて「木嶋神社(このしまじんじゃ)」さんと呼んでいたのが印象深かったですね。蚕ノ社は、地元ではなく外部の人の呼び名やったのがあとで理解できましたね。
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