リレー徘徊43:等持院界隈〜お庭を見る前に編
等持院のお庭を見るのだぁ〜の二回目、調べているうちに、あら、おや、なんと!!な内容が出て来て、毎度ながら京都の歴史の奥行きの深さには驚きました。萬年山真如寺って、燃える前は相国寺の塔頭のひとつで、金閣寺や銀閣寺と並ぶ規模やったらしい。燃え、その後の応仁の乱でさらに荒廃し・・・と京都の歴史を見ていると必ず出てくる「応仁の乱」、一度、しっかりと調べ直してみないといけないなぁ〜この乱で、いったいどれくらいの神社仏閣が消失したんだろうか?
| 固定リンク
コメント
しっとりとした小径、ええですね!
時代劇のロケが多いのもわかります。
応仁の乱、所謂「先の大戦(おおいくさ)」ですね。
あるネット友が言ってました。
「先の大戦の火事で燃えてしもて」と言われて、太平洋戦争かと思って、京都は爆撃受けてなかったですよね、と聞いたら笑われたって(笑
投稿: Jun | 2017.01.28 06:56
住宅地のど真ん中で、この風情ですからね~
毎度ながらの恐るべし古都~ですなぁ~
古都での戦、焼かれたのは時の行政府のあった中心部
なので、東山や洛北の山裾に大きな神社仏閣が残ったそうです。
あと商売の中心地も焼かなかったと聞きました。
投稿: 路爺 | 2017.01.31 23:04