リレー徘徊43:等持院界隈〜お庭を見る前に編
等持院のお庭を見るのだぁ〜の二回目、調べているうちに、あら、おや、なんと!!な内容が出て来て、毎度ながら京都の歴史の奥行きの深さには驚きました。萬年山真如寺って、燃える前は相国寺の塔頭のひとつで、金閣寺や銀閣寺と並ぶ規模やったらしい。燃え、その後の応仁の乱でさらに荒廃し・・・と京都の歴史を見ていると必ず出てくる「応仁の乱」、一度、しっかりと調べ直してみないといけないなぁ〜この乱で、いったいどれくらいの神社仏閣が消失したんだろうか?
等持院のお庭を見るのだぁ〜の二回目、調べているうちに、あら、おや、なんと!!な内容が出て来て、毎度ながら京都の歴史の奥行きの深さには驚きました。萬年山真如寺って、燃える前は相国寺の塔頭のひとつで、金閣寺や銀閣寺と並ぶ規模やったらしい。燃え、その後の応仁の乱でさらに荒廃し・・・と京都の歴史を見ていると必ず出てくる「応仁の乱」、一度、しっかりと調べ直してみないといけないなぁ〜この乱で、いったいどれくらいの神社仏閣が消失したんだろうか?
洛北の山裾を鳴滝、御室、妙心寺と巡って等持院迄やってきました。今回は、等持院の周辺を北へ西へ東へとウロウロしてます。この地域には超有名な龍安寺、金閣寺があるんですが、一歩外れると観光客激変な京都の日常がある街なんですよね。下の写真は龍安寺の正門。なんて質素とこのとき思いましたが、あとで調べて妙心寺の46個の塔頭のひとつだったことが分かり納得した次第ですね。
新年は妙心寺からのスタートです。うちの亡き父親の菩提寺で、30年ほど前に参拝した限りで天井の龍の絵図以外は記憶も曖昧、今回、再訪してみて塔頭の多さにビックリ!〜46もあるなんてね!!当時は「庭」なんて眼中になく、あの有名な龍安寺が塔頭のひとつやなんて知りませんでした。桂春院の庭、いいですねぇ〜すぐ外に境内があるなんて微塵も感じないほどの静寂な庭でした。方丈の間で抹茶と和菓子をいただきながら惚けた時間を過ごせましたね。そうそう・・・妙心寺が観光寺でないなぁ〜と思ったのが駐車場、参拝者には無料なんですよね!!
子どもの頃からお参りしていた「清荒神」〜皆、こおじんさんと呼んでました。母の実家が銭湯やってたので、竃の神さんということでお参りしていたようですが、なんで火鉢奉納するねん?って、つい最近迄知らなかったワタシ(^^;;;
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