リレー徘徊48:路上芸術in宝塚〜抽象作品3
さて、再考して書き直してみました。今回、書き直すに当たって、その作品が何年に創られ設置されたのか?を意識してみました。震災によって、その抽象作品の持つ意味が変わるような印象を受けましたね。作家が時代を意識して作成しているのか、それとも造形美を意識して作成しているのか? 見ているワタシ側も「震災」というWordを意識した視点で見てしまってるのにも起因するんですが・・・そうやって思うとJR駅前の作品、他の作品と違ってるなぁ〜
さて、再考して書き直してみました。今回、書き直すに当たって、その作品が何年に創られ設置されたのか?を意識してみました。震災によって、その抽象作品の持つ意味が変わるような印象を受けましたね。作家が時代を意識して作成しているのか、それとも造形美を意識して作成しているのか? 見ているワタシ側も「震災」というWordを意識した視点で見てしまってるのにも起因するんですが・・・そうやって思うとJR駅前の作品、他の作品と違ってるなぁ〜
前回は作家名不明の抽象作品、今回は作家名が分かる抽象作品群です。作家さんが分かるので、ネット上の記述を見て「今迄、作家として何を訴えて来たのか?」を作品を直で観るだけでなく、制作年も参考に観ると「ああ、もしかしたらこんな事を訴えたかったのか?」と漠然と分かる様な気がしますね。かの偉大な芸術家・岡本太郎氏が「芸術は爆発だ!!作品を観て、何だコレは!!と感じるのが芸術だ!!」なんて言ってましたが・・・・・
今回、ちょっと再考してアップしました。まずは、作者名ありなしってどうよってミニテーマでまとめて見ました。芸術作品は、作者の視点や意図が入って出来上がるモノ。作品の題名が、閲覧する側との思考的な接点となるわけですが、こと抽象作品に関しては、これだけではね。作者名があれば、ネットの時代、調べれば、なんとか作者の志しに到達できるんですがね。設置下側、せめて図録的なものをネットにアップする、これ創った人への仁義と思えるんですが・・・
野外芸術を愛でるって事で、毎日通る大阪中之島緑道の彫像をピックアップしてみました。野外芸術モノって意識して観ないと「街の風景」になっている場合が多くて、作品おろか題目も見ないままで通り過ぎてしまうんですね。造った側もそのまま放置、どこにも図録も無い。具象は見た目観賞でいいんでしょうが、抽象作品は「はてな?」と思ってしまうのも多々。応募作からの選択だけあって、造形&表現の多様性を愉しめました。
やっと庭編ですが、等持院やその周辺の寺院を調べるに室町幕府との繋がりをまとめると室町幕府の中心地が、このあたりやったんやなぁ~と。しかし、よくまぁ、古代からの墓所のような場所に造ったもんですよね。それだけ空き地が多かったのかな? このお寺、観光バスが入らないので、比較的、のんびりとお庭を見ることができますよ。
庭編を描く前に、等持院の鎮守社である六請神社について調べて書きだしたら面白くなって・・・お庭は次回になりかけて・・・いやはやですわ~なんといっても路地徘徊の愛好家にとって「力石大明神」は、かっこうの思案ネタ。江戸から明治にかけて各所にあった娯楽性の高かった「力石」とは違って「神格化」した力石ですからね。して・・・考えるに「持ち上げたら祈願が叶う」という信仰が先にあり、持ち上げて祈願するうちに「力自慢」やら「通過儀礼」的なモノへ変化していったのかな~なんて思ってしまいましたね。相撲も元は「神様への奉納儀式」が変化していったんですからね・・・
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