【立寄徘徊/10】和田岬界隈:三石神社(和田宮通)
延喜式外社って、お初かと思いますね。
三石神社のHPによると・・・
神功皇后摂政元年(200年)、凱旋の帰途上陸され、
三つの石を立てて神占いをした結果、
廣田・生田・長田・住吉の神々を其の地に
祀らしめた儀式の地である。
兵庫には、神功皇后ゆかりの地が多数あり、この神社もその一つ
すぐお隣は、蛭子大神(えべっさん)を祀る和田神社
鳥居奉納は、和田岬線にと深い関係にあった・・・
奉納社である三菱會社の名前が刻まれてます。
今の三菱商事?三菱重工?
阪神淡路大震災の復興奉納として
玉垣に三菱電機

境内
このアングルから撮るのは定番のようですね。
神功皇后と幼き応神天皇を抱きた武内宿禰の像
正面
お稲荷さん
お稲荷さんの脇に三ツ石の遺跡
元々、別の場所にあったそうね。
いかにも~って感じですね。
境内の隅っこに・・・震災時に破損したんでしょうかね?
でコレ、最初、なんやねんこの石の板って思いましたが・・・
目的がわからない、文献に記載がないと言われる盃状穴でした。
こうやって説明記載のある盃状穴は2例目ですね。
こちちら参照です。
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コメント
三菱会社? 三菱合資会社のことかな?
明治41年三菱合資会社は岩崎久彌社長の下で今日の事業部制とも言えるシステムを導入します。これは各部門にコスト意識と責任を持たせることで、さらなる事業の拡大を目指してのことでした。そこで三菱合資会社は銀行部、造船部、庶務部、鉱山部、営業部、炭坑部、地所部など、各部に権限を委譲するかたちをとっていきました。これこそ、アメリカで近代的なマネジメントを学んだ久彌ならではの発想でした。
三菱にとって改革的な出来事があったんですね。
投稿: Jun | 2020.05.22 22:10
明治41年ですかぁ~・・・鳥居の奉納年と同じですね。
もともとは三菱重工の敷地内にご神体があったとか
その関係で?この神社の鳥居を奉納されたんでしょうかね?
か、その年度にご神体を移築、自社工場を建てたのかな?
投稿: 路爺 | 2020.05.23 11:26
盃状穴画像は?
投稿: まだまだ | 2020.05.24 11:10
説明板の上の石の板みたいなのに
一個だけ穴がありますわ~こら説明ないとわかりまへんわ
https://hack.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/img_1452.jpg
投稿: 路爺 | 2020.05.24 17:54