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2020.07.31

【立寄徘徊/65】大阪遍14:古宮神社(鶴見区浜)

花博通に戻り、帰ろう〜と思ったら、コレがあった!

古宮神社跡
あとで古地図で確認するとこの位置にあったと分かるが
今は?どこに?・・・とスマホのマップで探すと・・・
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すぐ西に遷座しておりました。
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配置を見ると当時のまま移築した感じがすますね。
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赤曽根神社を改称し、今の社名にしたんですね。
前の社名由来は、なんやったんやろか?
古地図の地名は古宮村なんで地名由来でもないしね。
でで、曽根の地名は
川氾濫があった場所、またその結果自然堤防が形成された場所
をさすそうで、なんか納得な社名かと〜
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平成2年に移転した割に落ち着いたいい感じの境内です。
やはり当時のままの移転やったんでしょうね。
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拝殿・・・
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菅原道真公をお祀りするので牛います〜♪
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菅原公と牛の関係、そうやったんやと再認識!!
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狛犬もおりまして・・・鳥居前は昭和24年生まれ
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ナニワ型ね〜♪
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この意匠で、よく口から顎あたり欠落しなかったもんですね!
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足元はゴツいです。
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神殿前・・・鳥居前とは明らかに意匠が違ってます。
と思ったら文化9年(1812)壬申9月生まれ!
神殿内にも古い木製の狛犬があるそうで〜見れてない、残念!!
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でもナニワ型〜♪
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横顔が独特〜♪
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ここいらの神社(三島神社・大宮神社・住吉神社)の狛犬
みな注連縄をしてますね〜と今、気付きましたわ。
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2020.07.30

【立寄徘徊/64】大阪遍13:住吉神社(鶴見区9)

住吉さんちゅーたら海運の関連の神さんってイメージで〜

小さな神社です。
昔の地図を見ると蛇行していた古川の脇にあったようです。
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今も小さな川に面しています。
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ここも神殿が周りより高い位置にありますね。
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なんでまたこんな内陸に住吉さん?
と古地図を見ると・・・近くに「濱」という地名があります。
今の地図にも「浜」とありますね。
「浜」は、川にあった船着場を差しているそうです。
大阪湾から寝屋川を通ってここまで往来したんでしょうね。
だから・・・
海運に因んだ住吉さんをお祀りしたんでしょうかね?
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由来書きもないので、境内を見て回りましたが・・・
この手洗い盆、台座の岩に何か文字が刻まれてますが???
子守岩かな???
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御神木かな?
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狛犬は・・・
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岡崎型でした。
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付近にあった唐臼の支柱石
奇麗丁寧に工作された支柱石なんで手間か買ってますね。
そんな加工された石材を買える割と裕福な集落やったんでしょうね。
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2020.07.29

【立寄徘徊/63】大阪遍12:大宮神社(茨田大宮)

ぐるぐるの高速門真JCTの越えて・・・
地名にあの堤と同じ「茨田」再登場です。

茨田大宮の大宮神社

大和田駅前の古代堤を茨田と書き「まんだ」と読み
漢字変換でも「まんだ=茨田」とでてきますが
ここでの近くの交差点では「まった」と発音しますが
この神社の由来書きには「茨田(まむた)の堤」と読む???
同じ漢字表記の地名が、1km以上離れた場所にあるのは
どんな意味合いの歴史があったんでしょうね???
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達筆な由来書きですが光っていて読めませんので・・・

昔当地は河内国茨田郡下であった。
茨田は日本書紀によると
仁徳天皇時代に茨田親王の水害を防ぐ為に水防堤を築造され、
その堤を茨田堤(まむたのつつみ)と云ひ、現在も一部残っている。
明治以後、北河内郡古宮村大字下となり
昭和14年6月に隣村の諸堤村と合併して茨田町となる下を
大宮とし茨田町大宮となる昭和30年4月六ヵ町村が
大阪市に編入され城東区茨田大宮となる。
昭和49年7月に分区され鶴見区茨田大宮となり現在に至る。
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本殿横にお稲荷さんが鎮座
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水害を考慮してか、本殿は一段高い位置に。
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狛犬は汎用なナニワ型
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注連縄を締めてもらって、大事にされた感、ありありですね。
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境内に古い狛犬?しかし、なんでここまで摩耗してるんやろか?
まるで川底をぐるんぐるん流された様な感じ???
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本殿内。奇麗に整頓されてますね〜♪
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お隣のお稲荷さんにお参り〜♪
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こちらも同様に〜♪
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2020.07.28

【立寄徘徊/62】大阪遍11:堤根神社(ひえ島町)

さて・・・もうひとつの堤根神社へ〜

その前に、ひとやすみ、一休み〜♪
って?この塚は???
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一休禅師のおかあ様の墓碑だそうな〜
へぇ〜一休さんって、楠木氏の血縁者やったんやね〜
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再び古川、大きな楠!!
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渡るとすぐの神社
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もうひとつの堤根神社です。
一旦、先の三島神社に合祀された後、氏子の働きで
この地に復興されたそうな。
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鳥居をくぐると石橋
かっては水が流れていたんでしょうかね?
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昭和21年に復興された割に立派な楠ですね〜
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なので神殿も狛犬も新しいです。
ふたつの堤根神社に付いてはココに記述ありです。
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2020.07.27

【立寄徘徊/61】大阪遍10:三島神社(三ツ島)

樹齢1000年の薫蓋樟(くんがいくす)で有名な神社です。

三島神社の扁額
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境内中がクスノキに覆われてるって感じです。
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郷社なんですね〜
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稗島にあった堤根神社を合祀したとありますね。
また出会いました堤根神社!!
稗島って、古地図を見ると古川の中州の地名のようです。
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鳥居脇の車避け?の大岩
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境内に入る前に南側から見てみる・・・でかい!!
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境内に入って見る・・・ででかい!!フレームに入らない!!
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神社の由来描き以外にも・・・これは教育委員会
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保存樹について
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立派な灯籠
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本殿に上がりますが・・・
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黒い狛犬、雨に濡れているせいなのか?
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黒い石材を使用してるのか?
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本殿も楠の押されて存在が危うい!!
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樹齢1000年と言われても納得の太さ!!
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脇にあるお稲荷さんから楠を見る・・・圧巻!!
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この神社の神紋、今まで見た事が無い?
なんやろか?
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2020.07.26

【立寄徘徊/60】大阪遍9:堤根神社御旅所と水郷跡(北島町)

古川橋と言えば運転免許試験場でお馴染みの場所で
さらに南へ行くとあります小さな鳥居マーク

古川のほとりのある小さな神社ですが・・・
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堤根神社の御旅所だって?
前にアップした神社の御旅所ですね~♪
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大和田駅の本社から約1km、古川の下流に位置してますね。
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なので、しっかりと由緒書き設置
この御旅所から地下鉄門真南駅まで歩きますが
同じ古川沿いに、もうひとつ堤根神社があるんですよね~
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歩き出すと用水路が登場~なかなかええ感じやなぁ~と・・・
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わわ・・・なんやこら、水郷集落やんか!!
なんで、ここだけ残ってるの???
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水路の奥に舟が・・・
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使われてないようですが・・・さらに奥に水路が~
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大きな楠!!
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目の前の丘には碑?
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行ってみるとお墓でした。
氏名で検索・・・ヒットありませんね?
このあたりの庄屋さんなんでしょうか???
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丘から見たらこんな感じです。
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さきほど見ていた舟
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よく見るとコンクリート製?
この地のオブジェみたいな感じですね?
でも全く説明がないのが残念です!
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反対側から・・・水郷の跡地ですね。
きっとさきほどのお墓があるがゆえに残った風景かもですね。
ひと昔前の門真の農村風景やったんでしょうね~♪
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集落を抜けると舟が浮かぶ川に出ました。
いやぁ~驚き&面白い風景でした~♪
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2020.07.25

【立寄徘徊/59】大阪遍8:白山神社(大日町)

この神社、入り口がわかりにくかったですね~

ぐるぐる回って~白山神社~でした~♪
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拝殿&神殿の構成で・・・
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神殿の後ろが原っぱ状で、お稲荷さんが祀ってありました。
ここのサイトに記載によると境内に禅宗白山寺があったそうで
この原っぱが、その跡地なんでしょうかね???
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守口市のHPに・・・
旧六番村・三番村・四番村の氏神です。
本殿には、
覆屋の中に一間社流れ造の白山大権現・春日大明神の二殿が
並置されています。
かつては現在の場所より北西にある御旅所の位置に
あったといわれ、
現在そこには「藤之森」の石碑が建てられています。

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守口市の立てた説明盤よりもこちらが気になります。

本殿の祭神は・・・

祭神・本殿 
伊弉諾尊(イザナギノミコト)/伊弉冉尊(イザナミノミコト)
菊理媛命(ククリヒメノミコト)/経津主神(フツヌシノカミ)
天児屋根命(アメノコヤネノミコト)/武甕槌命(タケノミカヅチノミコト)

で、建てた方、ここが一番、気になりますわ~♪

現社殿は、明治34年10月20日
大阪天満宮・大工・柳佶兵衛棟梁に
依って造営 正遷宮されたものであり
御旅所「藤ノ森」と相まって由緒深いものです。

とあるも大工名で検索するもこの神社しかヒットなく
もっと他に関わった神社があるのかな?
この大工の経歴もわからず???・・・ちょっと残念!
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なぜかちゅーと・・・彫りモンが立派!!
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しっかり銘を確認していなかったのが悔やまれますが
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気鼻の造形
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特に菊かな?この透かし彫りの具合、丹波地方で見た
彫りモンを彷彿させますね~♪
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2020.07.23

【立寄徘徊/58】大阪遍7:佐太天満宮旧御旅所 飛来神社(佐太中町)

天社宮から北上、淀川の根気に佐太って場所があります。
この佐太地区、京都・大阪間の交通・軍事上の要地であったそうで
多分、排水も行き届いていたんでしょうね~

なので・・・
大きな陣屋があったり、立派な天佐太天神宮があったりしますが
こちらは由緒も正しき場所なんで割愛して・・・
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西へ1キロほど行った場所に小さな祠があり・・・
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旧佐太天満宮御旅所とありますが・・・
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正式には、佐太天満宮 旧御旅所 飛来神社と???
どうも江戸時代に佐太天満宮から1キロもあって不便なんで
御旅所やめたいんやけども~と嘆願したようで・・・
祭神も変更して飛来神社と変名?したようで・・・
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脚付きの手洗い盆
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用途不明の転がる石柱・・
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彫りモノが予想外の出来で~♪
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神社名の飛来は、鳥に由来するものなのか?
白サギ?コウノトリ?
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くちばしと目の表現から見るとコウノトリかな?
JUNさんち参照
でも翼の黒い色がないのは、塗装した人が手を抜いた???
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目とくちばし部分アップ~
白サギだと当たり前みたいに見れるんで
コウノトリの方が特別感ありで
よーここへ飛んできてくれたやん~で飛来と名付けた??
それとも祭神の天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)と
関りがあるのかな???
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左右は松ですね。
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彫り方から見て、そんな昔の作ではないような感じ
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2020.07.22

【立寄徘徊/57】大阪遍6:天社宮と弥治右衛門碑(大和田駅)

大和田駅の北側をちょいウロウロ〜♪

藤田公園脇に天社宮というお宮がありました。
この周辺に多い菅原道真公所縁のお宮かと思いましたが〜
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横長の由緒書きを読むに・・・
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安倍晴明に関わるお社であります。
なんでまた、この地にポツンとあるんでしょうかね???
画像をクリックすると大きくなって由緒書きが読めます。
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お宮というよりもお堂って感じですが・・・
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しっかりとした筆で天社宮と
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失礼して中を覗いて見ました〜
室内にお社が鎮座されてました。
今もしっかりお祀りされてるようですね。
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このお宮の周辺、旧村のようで〜
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地図を見ると弥治右衛門碑公園とあり行ってみると・・・
幕府の許可なしで排水したので死罪!?
水が無くて、無理矢理用水路を掘って〜なんてよく聞きましたが
排水を〜は、今回初耳です。
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供養の為に立てた道標も同じく公園に
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どこにお名前が・・・???
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ああ、下の方に・・・
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小さな公園ですが、沢山の碑が建ってます。
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後世の人、感謝々やったんでしょうね〜
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秦氏が治水工事をして
仁徳天皇が堤を造っても
排水の悪い地やったんですね。
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供養塔でしょうね。
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2020.07.16

【立寄徘徊/56】大阪遍5:堤根神社と茨田堤(大和田駅)

堤根は「つつみね」と読み、そのまま変換してくれますね。
初めての地名なんで検索・・・以外と多いです!

堤根神社のHPに詳しくあります。
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式内社で、祭神は
彦八井耳命(ひこやいみみのみこと)/菅原道真公/若宮大神
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京阪大和田駅すぐの神社ですが・・・
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一番奥にこの様な碑が二つ
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お馴染みの遥拝所ですが、祭神の彦八井耳命は
神武天皇の第一皇子だそうなので
奈良の橿原にある神武天皇陵を向いてるのかな?
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そして茨田堤、まんだのつつみと読み
仁徳天皇が造られた日本最古の堤だそうです。
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読みにくいですが・・・なんとか判読
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近くにお祀りしてあった神さんが・・・
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色々な神さんが祀られてますね〜♪
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狛犬
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狛犬〜表情が、ちょっと厳めしい〜
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鳥居に彫られていた奉納者名
橋川源右衛門正縄
ミドルネームまであって、なんかかっこええなぁ〜と検索
残念ながらヒットしませんね。
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参道には、この石灯籠がずらっと〜
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熱い氏子さんの信仰を感じますね〜♪
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神社の裏側から別角度で茨田堤を見れます。
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こちらには大阪府の説明板あり
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古地図アップ、右端の天満宮が堤根神社なんやろか?
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発掘調査の結果、鎌倉時代の遺構らしく
ほんまもんの茨田堤ではないようですが・・・
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現在の古川、三面護岸のあっけない風景です。
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近所に昔の堰の後が残ってたりして
寝屋川って推理的に難儀な場所やったんでしょうね〜
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2020.07.15

【立寄徘徊/55】大阪遍4:住吉さん、えべっさん(寝屋川駅)

寝屋川の駅に戻り・・・すぐ近所にも神社が!!

お参りして・・・
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脇から境内に入るといきなりえべっさん!?
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正面に回ると住吉さんやん!?
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???なんでやねん???
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由来書きを読むと住吉さん、春日さん、戎さんが祀られていたのね。
水害が多くてコノ地に遷座されたのか〜
住吉さん、戎さんは今も居たはるやろうけど、春日さんは何処?
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まぁ、ええかぁ〜とお参りして、鈴を鳴らそうと見上げたら
うーん、ココにペンキで奉納者名を書いてるのってお初かも〜
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後日、お参った十日戎の模様~
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十日戎、小さかろうが、摂社だろうが
この時期の戎さん、賑わってますなぁ~(^^)/
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2020.07.13

【立寄徘徊/54】大阪遍3:菅原神社/天満宮(寝屋川市池田中町)

駅から寝屋川沿いに歩くこと30分ほど・・・

「野神さま」~ABC公園の傍にあります。
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農神さまとも呼ばれ
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と丁寧な説明盤ありです。
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大きな幹線道路の歩道橋から見るお稲荷さん
その向こうに天満宮の鳥居が見えます。
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扁額は天満宮、社名は菅原神社よくあるパターンで
大国主命を祀っていたそうですが寛永年間(1624~1644)に
菅原公を祀るようになり、大正元年に現在の社名に~
 
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なので、入ってすぐに大国主命・大黒さん
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向かいに息子の事代主大神(えべっさん)の像鎮座。
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でも、まぁ、天満宮なんで神牛舎があり
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狛牛が、しっかりと居てはります。
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参道、お百度石と本殿一直線の構図、好きなんですね~コレが~♪
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拝殿から神殿見るも・・・ダメですが~
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しっかり解説盤が横にあり・・・
桃山様式で、江戸前期の作と推論。
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この様なお社が覆殿の中に鎮座されてるのがわかります。
桃山様式で、推定、江戸前期の作とか。
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さて狛犬チェック・・・半壊してますね。
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琴平神社の狛犬
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社の割に大きいので・・・
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元々は本殿前にあったのかも~
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本殿前、ピカピカの新人君です。
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大黒様、えびす様と同時に設置されたのかもね。
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2020.07.12

【立寄徘徊/53】大阪遍2:大利神社(寝屋川市駅)

大阪遍、枚方スタートだったので京阪沿線をば~

寝屋川市駅前のごちゃごちゃ感の中に鳥居あり。
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地元の氏神さん~って感じがいい!
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振り返ると商店街
駅北側には古い商店街があるので歩くとおもろい!!
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庶民的である証拠・・・(^^;;;
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大利神社とあります。
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立派な鳥居は、この方の奉納品
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参道と本堂
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振り返ると・・・
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ここもお参りパラダイス~♪
色々な神さんが、祀られてますね~
大利(大歳)神社って、一般的に丹後播磨に多いのにね?
交流があったんでしょうかね?
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しっかり狛牛さんが居るところを見るに
菅原道真公一番押し?
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狛犬~♪
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狛犬~♪
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さて本殿・・・
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立派な屋根ですねー
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彫りもそこそこ
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天満宮の神紋で・・・えーと大歳神社は何処に???
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ご参考までに・・・
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2020.07.11

【立寄徘徊/52】大阪遍1:瘡神社(枚方市牧野本町)

今回からは大阪遍をば・・・東西南北ランダムにアップ~♪

まずは枚方の小さな神社から~♪
派手な看板やなぁ~と所用途中でスマホ撮りしてると・・・
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道路の脇に小さな神社が~
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先にも1社、こちらはお参りせんかったですが
帰宅後、地図を見たら朝原神社で猿田彦をお祀りする
近所の片埜神社(カタノジンジャ・未参拝)の境外摂社です。
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こちたの小さなお社は・・・???
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瘡神社、皮膚病の神様で、菅原道真公由縁ですね~
乗馬をここで埋葬、背景に池???
片埜神社の境外摂社なんでしょうね。
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社の裏に・・・あ、確かに池がありますね。
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中を見ると・・・座姿と乗馬姿の菅原公の人形と手前に牛
の人形が供えられています。
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後ろから見ると・・・手前に古い乗馬の人形が・・・
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2020.07.10

【立寄徘徊/51】お参りパラダイス・尼崎えびす神社

いかにも「尼のえべっさん!」と言いたくなる神社です。

なんでもありのお参りパラダイスであります。
そのおおらかさが、ええなぁ~♪
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振り返ると有名な大鳥居・・・なにか居ます???
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タコでした・・・(^^)/
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狛犬も当然ながら・・・いますね。
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飾り瓦でしょうね~これも狛犬ですね。
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ええ顔やなぁ~♪
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石灯篭ですが・・・なんか妙で
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柳にカエルが飛びつく構図って・・・花札やん?!
なんで石灯篭の意匠に???
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えべっさんですよねココ???
荒神さんのお仕えの三匹の猿たちがなんでここに連座???
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わー二宮尊徳さんもお参りしてはる!!
なんでやろ、なんでやろ~♪
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腰に何か書いた札が・・・拡大したら
「キケン、ですから のぼってはいけません」って
尊徳さんにのぼる御子がいてはるのね~(^^;;;;
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そら駅前だもんで商売繫盛の伏見稲荷さん!!
まぁ、何匹いてはるんやろか?
賽銭箱のすぐ上は、願かけキツネさんです。
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最後ですが、そら戎神社ですからね!!
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あら、そうやったんや!!大黒さんの息子はん!!
こちらでは伊邪那岐伊邪那美の子供
祭神の八重事代主大神はココに説明ありで

西宮の方でなく、長田の方と由縁深くないの?と思えてきますわ。
調べたら余計にわからんようになってきたわ・・・???
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こちらの由縁はコチラで~
尼崎センタープールの近所に琴浦神社あるんですが・・・
まぁ、細かなとこは、ええかぁ~と思えてきますわ・・・(^^;;;;


琴浦神社由来の嵯峨天皇の息子さん
尼崎戎神社由来の菅原道真公・宇多天皇に仕えた。
ほぼ同年期にこの地に立ち寄ったのかな???


昔の地図を見るとこの一帯、猪名川の河口デルタやったみたいで
きっと綺麗な砂浜が続いていたんでしょうね~
という事で・・・いやぁ~、愉快で楽しい神社ですわ~
さすが、えべっさん!!
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2020.07.09

【立寄徘徊/50】尼崎城跡

明石城に続き、徳川方遺構噺をば~

尼崎は、幕府直轄地やったそうで
最近、尼崎城が復元されたと聞きますが
以前からこのような石碑が、場所は43号線沿い
小学校の裏に立っていました。
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明治21年に石材屋さんが建てた?
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尼崎は、幕府直轄地やったそうで・・・
明治維新時には、城はかなり荒廃していたらしく
廃城後、徳川方の城ゆえ徹底的に破壊されたそうで・・・
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なので遺構が、どもならん状態で、おまけに
復元するには資料がおまへん!ちゅー話で~
どこからどこまでが城やったさえも、わからんちゅー話で~
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で、石碑の向こうに、小学生が造ったのかな?
尼崎城の模型があるんですね。
校内にあるので近寄って見れないのが残念ですが
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多分、色々と調べて造ったんだろう―な思うと
なんか感動しますね~
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2020.07.08

【立寄徘徊/49】明石編8妙見社と明石神社・〜山側をウロウロ5

明石遍、最終噺であります~

伝武蔵作庭の本松寺のすぐ上にあります。
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本松寺の守護神・妙見大菩薩をお祀りしてるんですね。
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なかなか立派な建物ですわ~♪
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前庭も綺麗にされてあり、つつじが綺麗だとか
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武蔵作庭の庭も同じようにお願いしたいなぁ~
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床に敷かれている石材、地元産・・・名称をひかえるの忘れた~
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さらに上へ~明石神社だって!さぞ古式ゆかしい社と思いきや
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あら・・・真っ白なコンクリート製
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中を覗くと徳川の紋が!!
祭神は徳川家康公!!
明石城の太鼓門があった場所で、当時の太鼓が鎮座してました。
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外に放置されていた瓦にも三つ葉葵のご紋が!!
交通の要所・明石は徳川方やったとは知らなかったし
意識したことがなかったですね~
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2020.07.07

【立寄徘徊/48】明石編7・武蔵の庭〜山側をウロウロ5

宮本武蔵の庭を二か所・・・

まず本松寺(上ノ丸)の庭園を~
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山門を入るとすぐに大きなヤマモモの樹が!!
うひょおおお~でかい!!この樹の実でどれだけジャムが造れるか!?
とよからぬことを考えてしまったが・・・実は・・・
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お釈迦様の頭になぞらえて丸く刈りこんであるそうな!!
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いやぁ~立派なヤマモモだこと!!といたく感心!!
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宮本武蔵の作庭と伝わるで確証はないようで・・・
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形式的には「枯池式枯山水庭園」だそうで
枯山水ならば、当初、白い砂が敷かれていたんでしょうね~♪
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明石城内の明石公園にも武蔵作と伝えられる庭があるそうで~
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本丸跡やらを見てから日時計を目印に行ってみると・・・
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説明盤を読むに・・・
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この地で復元したのか・・・
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なので庭というよりも公園の池的な風景に???
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ここから水を流した瀧跡といわれても
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どこが座敷から見たら正面で―なんてこと考慮して
もう少しお城の庭らしく周辺も同時に整備して欲しかったなぁ~
が、素直な感想でありました。
先の庭もそうだけど、この乾燥感が一番いただけないですわ。
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2020.07.06

【立寄徘徊/47】明石編6・柿本神社〜山側をウロウロ4

では、では、境内へ~

本殿は木造ままです~♪
あ、お祀りされているのは柿本人麻呂公です。
詳しくはココをご覧くださいね。
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この神社の狛犬、立派です~♪
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丁寧な彫りですね~きっと砂岩でしょう!
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明石の狛犬で最古?!
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お殿様直轄なんで~
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手抜きがないのかも~♪
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実は、足元を見ると・・・おお、ダブルヘッダー!!
力石ですね~♪
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反対側の参道を下ります。
立派な石柱・・・他のも撮ってくればよかった~
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こちらの参道にも立派な鳥居
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その脇にあるのが名水「亀の水」
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石モノ好きなには、この盃状穴が気になります~♪
こんな湧水こんこんな場所でも盃状穴を彫るんですね!
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2020.07.03

【立寄徘徊/46】明石編5・柿本神社〜山側をウロウロ3

山麓にそって・・・横移動です。

再び天文台ではなく明石市立天文科学館 で
ん???徳川の御紋が~???
写真は撮りませんでしたが、天文台の前、墓場です。
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ずらーっと並ぶ奉納者名を刻んだ玉垣
右から「錦明館」「錦江ホテル「魚寅支店」とあり
調べてみると「錦明館」は料理旅館?
「錦江ホテル」は勤労会館にあったホテル
「魚寅」は今でもあるんですが???
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萬亀樓・・・下記のコメント書き込み参照
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なんとか駒・・・
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衝濤館?・・・なんか花街系の名前ばっかりのような・・・
かの夏明漱石が泊まった旅館。下記、コメント参照
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どーんと柿本神社、ここが人丸山なのね〜
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参道の玉垣も続けて見るに・・・舞子ホテル!
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山陽亭って料理屋か?
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芳栖園?これも料理屋ぽい?
なんか、客商売な方々が奉納しているような?
この時、柿本神社に祀られている神さんって???と
思っておりましたが・・・
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階段を登りきると、でーんとコンクリート製の山門!!
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真正面に天文台でなく明石市立天文科学館 !!〜つづく
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2020.07.02

【立寄徘徊/45】明石編4・熊野皇大神社〜山側をウロウロ2

再び国道を渡って山側へ〜

鉄道を跨ぐ道路の脇にある小さな神社ですが・・・
鳥居、壊れてますね〜阪神淡路大震災の時でしょうかね?
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熊野神社とかろうじて読めますが
道標の部分は???
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側面には人名???
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急な階段を上ると・・・二の鳥居、やはり壊れてます。
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熊野神社とあります。
調べるに稲爪神社の仮宮(御旅所?)があった場所に
江戸時代になって熊野三社権現を勧請したそうです。
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小さいながら一の鳥居、二の鳥居、お百度石も
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こじんまりとした社殿・・・うー凄いヤブ蚊!!
狛犬は新しいし、アルミサッシの扉も
凄いヤブ蚊ですが、しっかりお守りする氏子さんが
おられるんでしょうね〜うー刺されたとこ痒い!!
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お稲荷さんパート1
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もうひとつお稲荷さんパート2
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お、まだ摂社があるわ〜
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社の割に狛犬が大きいのは、もともと本殿に居た狛犬では?
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祀られているのは弁天さん
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小さな祠が・・・ゆっくり見たかったんですが
とにかく凄いヤブ蚊で退散しました・・・うー痒かった!!
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2020.07.01

【立寄徘徊/44】明石編3・腕塚、休天、稲爪神社〜山側をウロウロ1

この時は所用が昼からだったので・・・朝からブラブラ〜

今回の起点は人丸前駅下車スタート
子午線の通る山陽電鉄のホームから天文台〜♪
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下車すぐの小さな腕塚神社、源平の戦い関連ですわ〜
祀られているのは平家の武将・平忠度(たいらのただのり)
腕の病に霊験あらたかとか。
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次に向かったのが休天神社〜素直に「きゅうてん」と読むみたい。
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通称は休天(きゅうてん)神社
兵庫神社庁のページでは、天神社
Googleマップでは、明石天満見宮・・・悩むなぁ〜
扁額は「天満宮」
鳥居脇の石柱には、独特な書体で「天満宮十国宝社」???

幕末の探検家・松浦武四郎が選んだ天満宮の巡拝霊場「菅公聖蹟二十五拝」
と、いうのがあるそうで
休天神社は十五番目で?・・・この石碑、何を示してるんやろか?
でもこの紹介サイト、別の霊場写しも紹介してるねぇ〜♪
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ここで菅原道真公が、お休みなったので「休」と付いたようです。
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なので牛がいます。
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立派な銅の牛です。
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社殿・・・
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境内の東側に摂社?
鳥居前の扉は閉じてるので、遥拝所の鳥居かな?
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国道2号線を南に下った稲爪神社
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その周辺に残ってた昔の町並
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山門の階段に盃状穴!
この階段の材質、阪神間でよく見る花崗岩と違いますね?
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三門には右大臣かな・・・右やったか、左やったか・・・
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もう一方〜
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第33代・推古天皇の御代、三韓より鉄人が8千人を率い来襲
討伐を命じられた伊予国の越智益躬は
故郷の大山祇神社の祭神である大山祇神に祈ったところ
鉄人が明石に着いた時、稲妻とともに大山祇神が姿を現し
鉄人の唯一の弱点である足裏を射よと!!
なので弓矢が祀ってあるんですね〜♪
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