【立寄徘徊/46】明石編5・柿本神社〜山側をウロウロ3
山麓にそって・・・横移動です。
再び天文台ではなく明石市立天文科学館 で
ん???徳川の御紋が~???
写真は撮りませんでしたが、天文台の前、墓場です。
ずらーっと並ぶ奉納者名を刻んだ玉垣
右から「錦明館」「錦江ホテル「魚寅支店」とあり
調べてみると「錦明館」は料理旅館?
「錦江ホテル」は勤労会館にあったホテル
「魚寅」は今でもあるんですが???
萬亀樓・・・下記のコメント書き込み参照
なんとか駒・・・
衝濤館?・・・なんか花街系の名前ばっかりのような・・・
かの夏明漱石が泊まった旅館。下記、コメント参照
どーんと柿本神社、ここが人丸山なのね〜
参道の玉垣も続けて見るに・・・舞子ホテル!
山陽亭って料理屋か?
芳栖園?これも料理屋ぽい?
なんか、客商売な方々が奉納しているような?
この時、柿本神社に祀られている神さんって???と
思っておりましたが・・・
階段を登りきると、でーんとコンクリート製の山門!!
真正面に天文台でなく明石市立天文科学館 !!〜つづく
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コメント
近くに「人丸花壇」と言う老舗の料理旅館があります。
お高いのでまだ行ったことありませんが・・・
そこの女将が松平家の末裔です。
明石藩は松平家が藩主を勤めることが多かったです。(小笠原忠政にはじまる歴代の明石城主はほぼ全員が加増移封の栄転していて、出入りが激しい藩だった)
古い料理屋さん多かったみたいですよ。
学生の時、大学の付属小中学校が明石にあって、教育実習の打ち上げで、男子学生が見つけたのですが、部屋だけ貸して飲食物は持ち込みと言う「お店?」がありました。アパートみたいな構造でしたね。垂水のお寿司屋さんでお寿司買って、お酒持ち込んで宴会しましたわ。
投稿: Jun | 2020.07.03 21:16
萬亀楼の資料です。
> この舞子には腰掛茶屋が盛んで、萬亀楼 (ばんきろう)、 左海屋、亀屋などがありました。
伊藤博文、井上 馨、東郷平八郎などもこれらの旅館に宿泊したそうです。
萬亀楼は明治27年 に創業した料理旅館です。格式のある什まいと(当 時としては珍しい)
生筈料理で好評でした。太平洋戦争が激化する昭和18年 、店を開じています。
萬亀楼の一部が現存しており当時を偲ぶ事ができます。
路爺さん、すごいものを発見しましたね!
投稿: Jun | 2020.07.04 09:11
レス1
そうか松平家なんで葵の御紋なのね!!
毎度ながら下調べなしなんで、毎回、あとで驚き&納得するワタシです(^-^)
レス2
うーん、JUNの縄張り広し!ですね~(^-^)
まぁ、距離的なことを考えると大阪と奈良より近いものね。
レス3
ななななんとおおお!!そげな有名やった料亭でっか!!
じっくり調べたら柿本神社の奉納者名、もっと色々と出てくるかもね!!
なので玉垣面白い!!もんねー!!
投稿: 路爺 | 2020.07.04 09:19
衝濤館は 緒方洪庵の別荘を改築した旅館で夏目漱石が泊まったそうです。
衝濤館ゆかりの絵葉書が売られています。
旧明石郡公会堂、現中崎公会堂 は漱石が講演会を開いた場所で、今もあります。その近所に衝濤館があって、まだ空き家ですが建物があると検索した記事にあります。(2013年のブログ)
山陽亭は魚棚商店街にある現役の料理屋さんです。
芳栖園はヒットなし。
舞子ホテルは知ってはるよね(笑 ええ雰囲気のホテルで宿泊したことはないけど、ご飯食べに行ったことは何回かあります。
投稿: Jun | 2020.07.04 09:26
ひょおおおお!!
やばいですよ、絶対にやばいですよ!!
行って、確認して来ないと欲がもんもんと!!!
でもなんでまた、このような有名どころが明石に?
当時、神戸が田舎やったってことなんでしょうかね?
それとも美味しい魚介類が水揚げされるから?
今の明石も賑やかですが、当時は有名人もよく訪れる
もっと賑やかな町やったんでしょうね!!
このような文化的な背景を知った上での徘徊は
初回の無知状態からの視点の進化が体験できておもろい!!
そうか、そうやったのか!!・・・近々にいってみよう~
ありがとうJUNさん!!~毎度感謝です(T-T)
投稿: 路爺 | 2020.07.04 10:42
JUNさんの書き込みを受け調べてみましたが
萬亀楼跡も中崎公会堂も前を歩いてました~!!
萬亀楼跡は現在の舞子マンションのようで何も残っていない?
坂本龍馬が造った砲台跡が整備されて残っているようです。
中崎公会堂は健在ですが、衝濤館は不明で、ストリートビューで
見るにそれらしい建物はないような・・・
人丸花壇は・・・うひょおおお!!でかい!!天然温泉ありな豪華な旅館で~
どうも明石自体が大きな歓楽産業の地で、料理旅館やら芸子、舞妓が
わんさかいたようですね~
なので、神社の玉垣のどーーーんと名前が残っているんでしょうね。
実在の証拠として、大事にしてほしいもんですが・・・
玉垣をもっとしっかりと撮ってればねーまぁ、近いから機会あれば!!
投稿: 路爺 | 2020.07.04 14:38
衝濤館、さらにストリートビューで探すと2019年の画像確認!!
今もあるみたいで、この周辺にホテルや旅館が集中してあったんでしょうね。
最初の玉垣の写真も調べたらありました!!
しかし、まぁ、玉垣の奉納者の素性がわかるって、ある意味凄い!!
投稿: 路爺 | 2020.07.04 16:12