【大和徘徊】大和高田→法隆寺編<9>太子道の沿って〜2
さらに北上、JR法隆寺駅を目指します。
道中で見た愛宕灯篭と天照皇大神宮(伊勢内宮)
このふたつが並んでるのは珍しい?
屏風杵築神社
なんでも太子が通られるときに屏風を立てて風よけにした
という言い伝えからの名称だとか
ところで、この周辺に多い「杵築」神社って?と思い
調べたら大黒主んのことなんですね~!!
知らんかったです~
その前の白山神社の太子像です。
戦前の太子像は供出されてしまったのね。
この台座にあったんでしょうね。
白山神社側から屏風杵築神社を見る。
さらに走って糸井神社
祭神は、綾羽(あやはとり)、呉羽(くれはとり)の2織姫
秦氏の関係ですね~だから糸井って名称なんでしょうね。
西宮の染殿池、池田市の呉羽神社、綾羽神社、京都の太秦へと
繋がっていくんでしょうね。
牛頭天王の石灯篭2基、時計のあるお堂は空っぽ?
何が祀ってあったんでしょうね?
見学できなかった中家住宅の門
この戎子神社の狛犬も佐吉さん作似
奈良遠征中の佐吉さんのを参考にしたんでしょうね~
ここは大和郡山市西町になります。
さらに~
  えーっと・・・
なんて読むのだ?
飽波神社(あくなみ)と読むそうな~
聖徳太子の飽波葦垣宮の伝承地だそうです。
んーっで、この手水盆、もともとダブルやったのかな?
社殿
太子腰掛岩・・・
各地にある腰掛岩の言い伝えは、あと付けなんでしょうね~
こんなポスターが・・・軽便鉄道があったのか!!
地図には、この池の畦道は起動跡だったと・・・
JR法隆寺駅前にも軌道の遺構が・・・
という事で、今回はココで終了でした。
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