2021.04.29
【立寄徘徊】多聞→舞子<8>:兵庫県立舞子公園
明石大橋を間近で見るのだ!!
JR舞子駅って、どうなってるんやろか???
でかいなぁ〜
明石海峡は、今はない、たこフェリーで1回
明石大橋で1回、渡った事があるなぁ〜
この周辺って、架橋を中心にこうなってるのね〜
昔は・・・
でーん!!
橋の向こう側をズームアップ!!
なんか大地に消えていくように見えますね。
ましたからで〜ん!!
つり橋を支えるこの部分もでかい!!
アンカレンジともアンカーブロックとも言われる
巨大つり橋のメインケーブルを固定する構造物!!
ちょっと遠くから見るとその巨大さがよくわかる!!
洋館は孫文記念館。
もともとは、200mほど内陸にあったそうです。
今日は、外からのみです。
もう一軒の洋館は、旧武藤山治邸
で、公園のど真ん中で将棋をさすオッさん連。
なんでワザワザココでぇ〜と思ってしまいますが〜好きな風景ですわ。
【立寄徘徊】多聞→舞子<7>:明石藩舞子台場跡
舞子駅前に砲台跡があるらしいと・・・
ここからかな?・・・あ、大橋がきれい〜♪
ないわ?もうひとつ向こうの降り口かな?
振り向けば・・・ああ、青空がきれいだ!
うーんと交差やら高架やら駅の構成が、よーわからん舞子駅界隈???
降りてみたら。。。これ???で、なんやろかコレ?
さらに大橋よりへ向かうと・・・整備された広場、ここね。
大橋をバッグに同じものが・・・
砲台跡の説明。
史跡:遺跡の中で歴史的、学術的に価値が高いものを指す。
国防の要やったんで史跡指定なんでしょうかね?
けっこう大きな砲台やったんですね。
さきほど見ていたのは、この先っぽ。
なんやろか?単なる装飾なんやろか???
振り返ると大橋〜♪
大橋の方へ行ってみよう〜♪
2021.04.28
【立寄徘徊】多聞→舞子<6>:舞子延命地蔵
舞子駅へ向かって〜国道2号線を歩きます。
おや、橋の親柱が歩道に〜
少なくとも昭和3年には川があったんでしょうね。
道路の向こう側にも親柱が見えてます。
道路幅が昭和3年から変わっていないってことなのね。
道路拡張工事をやってれば、この親柱はココになかったってことね。
などと思いを飛ばして・・・あら、何か祀られてますね〜
Googleマップには「舞子延命地蔵」とあります。
左側から〜
右側から〜
かなり大きな地蔵さんです。
台座に・・・木槌?
なんで木槌が奉納されてるんやろか?と調べると
地元では「たたき地蔵」と呼ばれ、台座を木槌でたたくと
願い事が叶うそうな〜だから木槌が奉納されてるのね〜
ネットに上がっている由来書きに
文政8年(1825年)、山田村(現在の舞子)の庄屋中津源左衛門らが
船の往来安全と村の安泰を願って、
灘の石工長谷文左衛門に造らせたものらしい。
え?その1〜先に書いた山田村って舞子だったのか?
え?その2〜灘の石工・・・うーん、どこぞに銘の入った
石の彫モンがあるんやろか?この地蔵さんには銘が入っているのかな?
また、行かねば〜と思ったらこの橋が山田橋やった〜
しっかりと渡ってるやん>自分(^^;;;;
お松大明神は、ここにあったね〜
他の場所から集められたんでしょうかね〜
最後に手洗い盆を確認・・・あ、盃状穴ありますね〜♪
2021.04.27
【立寄徘徊】多聞→舞子<5>:舞子六神社
西国街道を少し歩くと舞子六神社。
本日2社目も六神社?
由来書きには、江戸時代前期、六柱の神さんを祀ったとあり
多聞の六神社は、ここからの勧請?などと瞑想〜♪
立派な拝殿〜♪
鳥居は六神社
拝殿の扁額には地名が付いてますね。
すぐに西国街道、その向こうに海。
親子の神さん、大黒さんとえべっさん。
切り出した岩に穴を開けたって感じの手洗い盆。
顔がすり減ってる?狛犬。
摂社団地〜
四柱の神さんが居てはります。
前の狛犬も顔がすり減ってますね???
相方は、わはは顔。
本殿の東側、朱色の鳥居は・・・
お松大明神。言われがありそうな名前なんですが・・・
由来書きには・・・
「山田村山田橋のたもとに鎮座していたお松大明神を境内に遷す。」
とあり、山田村を調べたらココにあった。
今の鈴蘭台〜谷上周辺だったようで、そこからここへ???
そんな遠くの村からなんでここへ???と疑問が・・・
それとも山田村って、この近所にあったんやろか?
ああ、多聞寺からの川が「山田川」だとしたら近所???
山田村の位置を思いつつ・・・キョロキョロ
手洗い盆にしては小さいな?と思ったら鳥居の基礎ね。
こちらは・・・石臼ですね。
こちらは・・・
なんやろか???五輪の塔の上の部分?
それとも石灯籠の頭の部分?
これが頭部に付いていたのなら、随分と大きなモンかも?
石灯籠・・・大坂永代常夜燈。
西国街道を通った大坂の商人が奉納したんやろか〜と妄想暫し・・・
2021.04.26
【立寄徘徊】多聞→舞子<4>:海へ〜
山田川に沿って海に向かいます。
目指すは明石大橋〜♪
山田川は、河川段丘を形成しながら海へ〜
六神社、多聞寺以外に全く神社仏閣どころか、お堂も石仏もなく
古物て、こんな民家がポツン状態で・・・
こんな景観になる前は、どんな場所やったんやろか?
鴨かも〜
カルガモでした。
だんだんと明石大橋が・・・
河口は、JRと山陽電鉄、国道2号線で塞がれてます。
合間から明石海峡と淡路島が見えてます。
国道の橋
振り返ると・・・
地図を見ると路地奥に「オノ神社」と・・・
Googleで見るに扁額に見間違えた?ほんとは「才ノ神」では?
西国街道が走ってるので邪鬼が入ってこないようにとの
「才ノ神」=「塞ノ神」ではないでしょうかね?
海に到着〜明石大橋!!
再度、振り返ります。
防波堤が大橋まで続きます。
こちらは明石方面。
海峡をゆく船〜♪
あら、海なのにオナガガモがいますね〜
海辺の古い屋根の飾り瓦、波と海亀か〜♪
しばらく防波堤を歩くと・・・なにやら動く小さいのが〜
ジョウビタキがいました〜♪
2021.04.25
【立寄徘徊】多聞→舞子<3>:多聞寺
この辺りの地名語源になったであろうの多聞寺へ〜
山門〜相変わらずの予習なし参拝であります。
この霊場巡り、知らなかった・・・明石西国霊場はココ。
福林寺は近所なんやろか?と見たら伊川谷で、どう見ても無人?
上のリンクページに「2019年12月に霊場札所復帰、納経は29番にて」
ということで、多聞寺で御朱印を受けなさいってことかぁ〜と判明。
こちらは神戸十三佛霊場で、先ほどのページにありました。
この霊場巡りも知りませんでしたねぇ〜
霊場巡り、老齢時の愉しみにしますかねー行き着く前に逝くかもね。
仁王さん
中山寺の仁王さん同様に魔除けの朱塗りなのかな?
毘沙門さんなのね〜とのぼりから判明(^^;;;
本堂を拝み、中を・・・
京都建仁寺と同様に毘沙門のお使い百足がいますね〜
禁煙!携帯電話禁止!って、常識かと思えるんですが・・・
スマホは、ええんかい!!と大阪人やったら突っ込むなぁ〜
角大使、どこがで見たような・・・賓頭盧尊者って???
よくお寺で見かける像ですが、知らなかったですが
上の説明にあります「賓頭盧尊者」やったんですね〜
ほんと、知らないことが多いなぁ〜でもイケメンやん〜♪
鐘楼〜
お・・・
お顔、拝めました〜
でも、やはり気になるのはコッチで・・・
水が抜かれた池の中に・・・弁天さんでしょうね。
で、池之端の岩にありました盃状穴〜♪
2021.04.24
【立寄徘徊】多聞→舞子<2>:村社・六神社〜境内
境内へ〜
鳥居は六社大明神
拝殿の扁額は「多聞六神社」この微妙な社名違いは
容認の範囲なんやろか?と毎度、思いますね。
参道途中の小さな摂社
参道登るとすぐ拝殿、引きで撮れませんわ。
狛犬は、新しい岡崎タイプ。
左右に長い境内です。
東側の出口を出ると
間際まで住宅が建ってます。
東の出入り口より〜
石灯籠の頭の部分かな?
蔵?と摂社
参道すぐのお百度石。播磨でよく見る円柱タイプね。
裏には退営記念・・・ん?兵役を退くやったら退役でしょう?
で調べたら、退営は「兵役を退き、兵営を去ること」で
兵営って・・・軍人が集団で居住するところ・・・兵舎ですね。
なんで「退役」とならないか・・・ああ、一兵卒やからか〜
将校だと役付きなんで「退役」なのね・・・とひとりでブツブツ。
お百度参りは現役みたいです。
真新しい龍付きの手洗い盆
玉垣の角も取れない新品状態で・・・
ああ、震災で・・・
腐食に強い銅板で震災の記憶を残す・・・強い思いが伝わります。
その脇に埋もれるのは震災前の手洗い盆か?
で・・・次の目的地は多聞寺〜♪
2021.04.23
【立寄徘徊】多聞→舞子:村社<1>・六神社〜御旅所?
多聞って、お酒の名前と同じやん?なんの関わりが?
と思いつつ、山陽垂水からバスで、この地へ〜
なんて思いながら、仕事を済ませて毎度の神社参り〜
まずは、六神社横の朱の鳥居をくぐります。
白髭大明神、よく目にする神社名ですね。
猿田彦が祀られてるのかな?
んーどう見てもお稲荷さん〜(^^;;;;
小さいな境内に石臼が・・・なんで四角な拝石が?
川のすぐねきなんですが、護岸される前はどうなっていたんやろか?
では・・・六神社へ・・・
由来書き・・・ふーんと読んでいると・・・
六神社なのに祭神は八座?
ん???駐車場の端っこに玉垣が?
へ?この神社の御旅所が?
こんなに近所にある御旅所って初見であります!?
御旅所から神社の駐車場越しに鳥居を見るの距離感
わからんなぁ〜???
本殿が、少し高い位置にあるからの御旅所なんやろか?
それとも河川整備する前、本殿へ直接、神輿を宮入できなかっらので
御旅所を設けて、そこに神輿を一時的においたんやろか?
それとも、まだ真新しいので、どこからかここへ移転されたのか?
きっと地元の方に聞けば一発で判明するんだろうけど・・・
2021.04.22
2021.04.21
【立寄徘徊】神鉄木津<5>小河大歳神社〜徒歩20分
小河大歳神社へは、木津駅から徒歩20分くらいかな?
山陽自動車度を越えると山里の風景に・・・
集落に入ると見えてきました〜♪
この陣屋にもランドマーク的な大樹ありです。
さらに道は続き、藍那へ〜
農村歌舞伎舞台が見えてます〜♪
鳥居〜
大歳神社、播磨から三田市郊外に多い神社です。
振り返るとこんな感じ。
石灯籠には・・・
「両宮 大神宮」とありますね。
もう一対の石灯籠にも同じように?
大神宮ってお伊勢さんですよね?
両宮とあるんで・・・2座の神さんが祀られてる???
でも・・・よーわからん???
2021.04.20
2021.04.19
2021.04.18
【立寄徘徊】神鉄木津<2>顕宗仁賢神社〜由緒
農村歌舞伎舞台のある小河大歳神社へ行く前に〜♪
小河へ向かうちょっと高台から〜♪
社殿と・・・なんやろか、茅葺屋根の小屋は???
ランドマークな大樹〜♪
正面から〜♪
ええ神社やなぁ〜♪と思って扁額を見ると・・・
ん???二人の天皇のお名前が?
あ、そうか・・・このお二人の名前が神社名なんや!!
相変わらず徘徊前に予習をしないワタシで〜(^^;;;;
解説盤を読み・・・ああ、なるほど!!
お!!ここにも復元された農村歌舞伎舞台があるんや!!
神殿を望む・・・
二人の天皇を祀るので立派な蔵が〜♪
皇太子成婚記念碑の横に・・・
力石かな?
で・・・帰宅後、検索・・・なるほどな言い伝えがあるのね〜
顕宗仁賢神社
当社の創建は、御祭神の一柱である仁賢天皇の勅を受け、 11年(498)9月23日と伝えている。第17代履中天皇の孫にあたる弘計・億計(後の顯宗天皇・仁賢天皇)は、父である市辺押盤皇子が皇位継承の紛争にまきこまれ雄略天皇に滅ぼされた為、難を避けて播磨国赤石郡縮見屯首忍海部造細目の家に、丹波の小人と偽って使用人となった。二王子は身分の明らかになる事を恐れ言葉の不自由なふりをし、火焚き・水汲み・株苅りなど炎暑寒冷をいとわず働いた。やがて、雄略天皇の御子である清寧天皇が位に就いたが、この天皇には御子がないため皇位を継ぐべき人を探していた。播磨国司山部連の遠祖伊与来目部小楯が、新嘗の供物を整える為に細目の家に来たところ、新室家を建て祝宴をしていた。小楯は、この席で歌に託して身分を明らかにした二王子を知り驚き、里人を集め大急ぎで仮宮を造り、二王子の御殿とした。これが「柴垣の宮」の起源である。その後、小楯は清寧天皇に子細を奏上するに、天皇大いに喜び、すぐ二王子を都に迎えて世継ぎとした。この二王子の縁の地に、当社が創建された。下記の2枚の奉納絵馬は本殿脇に献上されてました。
2021.04.15
【立寄徘徊】神鉄木津<1>駅周辺
顕宗仁賢神社へ行く前に〜
木津の駅、乗降客少しありでした。
ちょい駅から離れて見るに・・・陸橋の向こうに工業団地?
地図で見たら「こうべ環境未来館」とか工場が多数あるんですね。
さてホームから・・・石仏が見えます。
袈裟を着た僧侶?
駅前に・・・先の藍那へ線路に沿って道が全くないのですよ。
おやポスト
赤色が若干違ってますね・・・朱赤じゃない?!
民営化になって、ブランドカラーの朱赤塗りがまちまちになった?
駅前にベンチ?と思ったら料金箱ってあり野菜の無人販売所みたいね。
集落に北外れの石仏群
右からの二体は最近の作でマンガチック。
右端・・・何が刻まれてるのか磨耗が激しいけど
子供を抱いた女性みたいなラインね・・・でハート?
前にも指摘がありましたが、江戸期のハート型の意味ってなに?
左端、ヒゲの生えた翁?
で、再び駅前に・・・こちらから神社へ向かいます。
2021.04.14
【立寄徘徊】神鉄藍那<3>八王子宮〜境内
境内
農村歌舞伎舞台を見たかったんですね。
裏六甲の上谷上、下谷上、今回の藍那、次回の小河にあります。
案内図を見ると、あいな里山公園にも移設された舞台がありますね。
境内の奥にありますが・・・
ひどい痛みようで・・・背後は崖で崩れそうだし・・・
倒壊崩壊放置まま状態です・・・かなし!
気を撮り直して本殿へ〜
扁額にも「八王子宮」とありますが、
Googleマップでは藍那天津彦根神社となってます。
立派な飾り瓦〜♪
拝殿から・・・直接、神殿を拝めます。
彫りモン、ありましたが銘はなし。
なかなか細かい彫りモン細工で〜
襖の裏側〜
一応、透かし彫り?
側面の彫りも立派!!
おや、お百度の札ですね〜今でも踏む人がいるんでしょうね〜
神殿左右に・・・
祠ありです。
最後に狛犬
汎用的な意匠のナニワ型。
2021.04.13
【立寄徘徊】神鉄藍那<2>八王子宮〜参道
神社への参道はないかと地図雨みれどもない?
激坂の車道を息切って登る。
八王子宮のある集落に到着するも
駅からの旧道が見当たらない?
この集落の表玄関口が、よくわからない?
外部からこの集落へどうやってアプローチしたんやろか?
さらに奥に毘沙門堂があるそうです。
神社への参道
土蔵のこなれ感が・・・
鳥居から伸びる参道ですが、なんか稜線上にあるみたいで・・・
奥に境内が見えてます。
本殿と奥に目当ての農村歌舞伎の舞台が見えてます。
振り返ると・・・
参道入口からの高低差
入ってすぐの朱赤の祠
どの神さんが祀られてるんやろか?
朱赤から念が出ているような空気感。
手洗い盆と朱赤の祠・・・おや・・・手前に〜
百度石・・・側面に漢字が彫られてますね〜
大きく「世」
石普請・・・と連名
コケで読めないけども・・・言べんかな?
年号と「人」・・・あ、世話人ね〜
石普請に関わった人が多かったので、こうなったのね〜♪
2021.04.10
【立寄徘徊】神鉄藍那<1>駅前を歩く
大和徘徊を一休み〜
最近、仕事の合間に立ち寄った場所をご案内。
まずは神鉄藍那駅で下車〜
藍那って・・・
義経が、一ノ谷の戦いに向かう時にここらを通ったと
言われていますが
古地図で藍那を見るに旧街道が見当たらないんですね?
なんか山間地にポツンとある感じで、孤立した集落みたいですね。
それなのにしっかり学校もあるって?
お隣の鈴蘭台駅、木津駅への旧道も見当たらないし???
なんか不思議な場所です。
昼間でしたが・・・
誰も降りません、誰も待ってません・・・が〜
改札に人がいると思ったら人形が・・・
夜一人で駅舎に来ると、ちょっと怖いかも・・・
駅向こうの集落、この丘の向こうが「あいな里山公園」
これだけの集落なのに神社がないんですよね〜
集落へ向かう踏切・・・あら単線やん!!
神戸方面側は複線なんですよね???
駅前の公民館にあった地図。
八王子宮へ参る前に、七本卒塔婆、紫式部の墓をば・・・
これかな?でも紫式部の墓は京都でしょう???
なんで、ここにあるんでしょうね???
駅前のおしゃれな建物〜窓枠も木製の木造なんですよね。
工場かな?作業場かな?住居かな?
七本卒塔婆手前にも祠跡のような台が・・・
七本卒塔婆・・・由来書きも何もありません???
2021.04.02
【大和徘徊】壷阪山→御所編<14>今回のラストラン〜!!
太陽が西へ〜今回のラストラン3社連発!!
厳島辨財天(御所市原谷)
すぐ東側に同じ厳島神社があって、グーグルマップの
写真貼り込み、間違ってアップされてますね。
境内の光に夕方の気配が・・・
社殿前に地蔵さんが・・・
参ったのは原谷の集落、西側の厳島神社です。
今日走った野辺遠景〜♪
琴弾原白鳥陵(日本武尊陵/御所市冨田)へ向かいます。
まぁ、根拠が薄いとはいえ・・・
春日神社(御所市玉手)にちょろっと立ち寄って
今回の最後は八幡神社(御所市東寺田)
立派な石の鳥居〜♪
でも社殿は控えめ〜
社殿工事中・・・狛犬います!
鞠を持つ狛犬は尾道型?
しっぽを見ると出雲型?
こちらは子持ち
昭和6年に奉納・・・
子持ちは江戸狛犬の影響?
いろんな地方の意匠が混ざってるのかな???
九州の商店主が奉納したんでしょうね???
なんでまた、わざわざと思ってしまいますわ。
しっかりと石工の銘が
石工師 原口吉太郎 を検索するもゼロ!!
2021.04.01
【大和徘徊】壷阪山→御所編<13>圀見神社(御所市原谷)
旧書体の「國」でなく、「圀」って漢字、お初!!
で、珍しいので調べたら・・・
「国」の則天文字で、後世に残った稀有な例で
中国本土でも、使用例はほとんどない。
使用例を見るのは「水戸光圀」に用いられているもの程度。
らしいです〜♪
圀見神社への参道は、想定外の山路!!
えええ・・・どこまで押すねん!!とちょい焦り〜
到着したら右側に車道が・・・あらら・・・
参道から
いやぁー荘厳な空気感です!!
三段に並ぶ灯篭の多さ!!周辺の神社と別格ですね!!
由緒正しい神社って構えです。
社殿の扁額・・・圀でなく國?
神殿より・・・ここも割拝殿。
威風堂々の汎用意匠
どこかで見たような造形ですね。
皇居遥拝所は珍しい?
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