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2021.04.18

【立寄徘徊】神鉄木津<2>顕宗仁賢神社〜由緒

農村歌舞伎舞台のある小河大歳神社へ行く前に〜♪

小河へ向かうちょっと高台から〜♪
社殿と・・・なんやろか、茅葺屋根の小屋は???
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ランドマークな大樹〜♪
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正面から〜♪
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ええ神社やなぁ〜♪と思って扁額を見ると・・・
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ん???二人の天皇のお名前が?
あ、そうか・・・このお二人の名前が神社名なんや!!
相変わらず徘徊前に予習をしないワタシで〜(^^;;;;
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解説盤を読み・・・ああ、なるほど!!
お!!ここにも復元された農村歌舞伎舞台があるんや!!
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神殿を望む・・・
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二人の天皇を祀るので立派な蔵が〜♪
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皇太子成婚記念碑の横に・・・
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力石かな?
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で・・・帰宅後、検索・・・なるほどな言い伝えがあるのね〜

顕宗仁賢神社

当社の創建は、御祭神の一柱である仁賢天皇の勅を受け、 11年(498)9月23日と伝えている。第17代履中天皇の孫にあたる弘計・億計(後の顯宗天皇・仁賢天皇)は、父である市辺押盤皇子が皇位継承の紛争にまきこまれ雄略天皇に滅ぼされた為、難を避けて播磨国赤石郡縮見屯首忍海部造細目の家に、丹波の小人と偽って使用人となった。二王子は身分の明らかになる事を恐れ言葉の不自由なふりをし、火焚き・水汲み・株苅りなど炎暑寒冷をいとわず働いた。やがて、雄略天皇の御子である清寧天皇が位に就いたが、この天皇には御子がないため皇位を継ぐべき人を探していた。播磨国司山部連の遠祖伊与来目部小楯が、新嘗の供物を整える為に細目の家に来たところ、新室家を建て祝宴をしていた。小楯は、この席で歌に託して身分を明らかにした二王子を知り驚き、里人を集め大急ぎで仮宮を造り、二王子の御殿とした。これが「柴垣の宮」の起源である。その後、小楯は清寧天皇に子細を奏上するに、天皇大いに喜び、すぐ二王子を都に迎えて世継ぎとした。この二王子の縁の地に、当社が創建された。下記の2枚の奉納絵馬は本殿脇に献上されてました。
                

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コメント

兄弟天皇の伝説は淡河周辺と加西市に残っています。
加西の方は根日女伝説で古墳とかありますけど、2王子に二股かけて行き遅れになって・・・と現代風に解釈すると身も蓋もない(笑

投稿: Jun | 2021.04.19 07:39

なんか播磨全域に伝説が残ってる感じですね。
木津に神社ができたのは信仰の民意なんでしょうかね?
おとなりの藍那に紫式部の墓があるくらいに都への
思いが強い場所やったんでしょうかね?
と色々と妄想が広がる地区であります〜♪

投稿: 路爺 | 2021.04.19 08:00

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