【再び三田徘徊】その4〜川除御霊神社
この時(9月19日)は彼岸花が満開見頃で〜
国道から川除御霊神社への道〜♪
御霊神社も深い社叢に覆われてました。
行基堂:国道脇から移築されたそうな〜
ん・・・最後の二十九番とあるのが気になる?
三田駅前周辺にも霊場写しがあるのかな???
上のを拡大・・・
調べたら「有馬郡西国三十三ヵ所観音霊場」かな?
でも二十九番は、光明寺ってお寺だし???
わからんなぁ・・・
手洗盆は新調、龍は手作り〜
参道の階段を奉納したと・・・
移動式みたいな百度石
古い方ね〜
どーんと真正面、狛犬は新しい。
覆殿の中には二座。
横に回って、防風雨カバーをちょい開けて・・・
手前は御霊神社と・・・
本殿、右横に摂社
大きなのと小さな祠と・・・
大きな方にはお神輿が・・・
瓦祠も〜
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コメント
神社の歴史をきちんと残す習慣っちゅうのが、日本にはないのでしょうかね。
大きな財力のある神社には額のある神官がいますが、村の神社は村人しかいませんからねぇ。
宮部みゆきさんが最近まで神戸新聞で連載されていた小説で、神様の世界に連れて行かれた少年の話がありました。
神様の世界を支えるのも破壊するのも人間次第と言う、恐ろしいお話です。(そのうち単行本になります。)
投稿: Jun | 2021.10.02 07:44
神社の由来よりも効能と言いますか
いかに氏子の助けになるかが重要やったんでしょうね〜
柳田国男の著書に「もともとは全村人による集団祈願」やったのだと・・・
明治になって西洋科学が入ってきて、祈願より技術による恩恵へと移行し
集団祈願から個人祈願へと形態を変えていったとか・・・
なので「お百度石」てのは、案外、新しいもんとも
集団での祈願で一番大きなものは「雨乞い」やったとも
個人の力では、そうしようもない願いを大勢の力で祈る・・・
なので「近未来の結果」が大事で、過去=由緒は、あまり意味がなかったのかも
なんてJunさんの書き込みをみて思いましたわ。
我ら思うゆえに神ありってもんでしょうかね・・・
投稿: 路爺 | 2021.10.02 19:23