【ご近所徘徊】百年GIRDER BRIDGEの確認〜伊丹<2>
鉄道の下を潜る通路をガードと読んでますが
正式には「ガーターブリッジ(girder bridge)」と言うそうな〜
明治20年頃の古地図を見ると、伊丹から塚口までの路線って
ガーターブリッジが異常に多いんですね。
多分、鉄路建設によって生活路が分断されたからでしょう。
今回は、赤丸を確認・・・
ちなみに青丸の神社は、今は鎮座してませんでした。
まず有馬街道を南下・・・以前に比べて町屋の数が減ってような・・・
南端のガーターブリッジから検証・・・
煉瓦造りになってますが、ペンキ塗りで表面わからずで・・・
プレートがありで、「橋梁(きょうりょう)」って言うのね〜
橋梁は、鉄道の構造物の総称で、この場合は「桁橋」で
その下にできた通路の呼び名はないのかな?
東側をみゆ・・・この幅は、昔ままなんでしょうね〜
線路の西側は段丘になってます。
丘の上には古い長屋と・・・
地蔵堂で、ここも集合型ですね〜
長屋は無人でした・・・
線路を見下ろすとこんな感じ・・・
次のガーターブリッジを検証〜
ここは「第2伊丹橋りょう」とプレートにありました。
ここは煉瓦まんま〜♪
造った会社の刻印があるかと・・・
探しましたが・・・ありませんね〜
煉瓦部分は路線幅の半分で
初期の阪鶴線は、単線やったんでしょうなぁ〜
今回のラスト、JR伊丹駅直下のガーターブリッジは・・・
というよりもアンダーパス的な感じで〜
コンクリート製、壁画のオンパレ〜♪
高さを確保するために、100年前よりも掘り下げたんでしょうね。
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コメント
街ブラ、ええですね。
こちらは行けども行けども田んぼやからねぇ。
投稿: Jun | 2022.02.09 07:15
街中ポタネタを探して右往左往〜(^^;;;;
いけども田んぼを風を切って快走する・・・こっちではできないな〜
投稿: 路爺 | 2022.02.09 09:17